Vol.2 ながやんとパッション-前編-
みなさんこんばんは。パッションです!
本日もこの時間がやってきました。パッションです!
連日のnoteのビュー数をみて、ちびりそうです。パッションです!
今回のインタビューについて、詳しい経緯などはこちらをご覧ください。
そしてパッションインタビュー第2弾は、テンラボ理事長にしてエアギタリスト、そんでもってベンチャー企業の経営にラジオに大学院!
もはや何足の草鞋か分からない”ながやん”こと永山由高さん!
そもそもなぜテンラボを設立することになったのか、いま組織の代表としてどんなことを考えているのか、ながやまさんにあれやこれや聞いてみました!
それではインタビュー、パッション!!
◆鹿児島を魅力的なまちへ
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よろしくお願いします!まず自己紹介をお願いします。
永山さん(以下"ながやん")
永山です。Ten-Labの理事長をやってます。他にもいろいろやってる。テンラボが4割、ecommitが4割、大学院が2割の10割でやっていて、はみ出てる部分がRADIO BURN+とか作家の清水哲男さんとやってる揺れて歩くプロジェクトとかエアギターとか移住ドラフト会議とかそんな感じかな。だから16割ぐらいで稼働してる。
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10割を超えてますね(笑)
ながやん
うん、そんな感じ。
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出身はどちらになるんですか?
ながやん
生まれは日置市の東市来町だね。今も東市来町の湯之元に住んでる。
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そうなんですね。子供の頃将来の夢ってありましたか?
ながやん
最初は作家になりたくて、その後宇宙飛行士になりたくなって、その後がオリンピック選手。って感じで色々変わってる。
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スポーツは何かされていたんですか?
ながやん
陸上部で110mハードルをやってた。県の中学記録は一時期持ってたから、中学と高校で一応全国大会には行った。年代別の日本ランキングで一番良い時は7位くらいまで行ったと思う。
陸上部時代の永山さん。いや、めちゃくちゃかっこいい。
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おお、すごいですね。大学でも陸上は続けられたんですか?
ながやん
1年ちょっと続けたけど上と喧嘩してやめた。このメニュー全然合理的じゃないですよ、こんなのやってても速くなんないですよって言ったら、馬鹿野郎これが重要なんだって言われて。いや、だったら辞めますわって言って辞めた。
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ええ(笑)大学では具体的にどんなことをされていたんですか?
ながやん
法学部法政策学科だったから行政学を勉強していた。それと大学入ってから政治家になろう!と思って、福岡の当時一番県議会議員で若かった鬼木誠さんに修行させてくれって言って、大学1年の秋から3年半ぐらい秘書業務をやってた。
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実際に修行させてもらってどうでした?
ながやん
あ、政治じゃないかもってなった。
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なんでですか!?
ながやん
例えば何かに困ってる人がいた時に、それを一時的に行政のお金で救うことはできてもそれは持続的なものではないんだよ。法律とか条令も、制度として苦しむ人を守ることはできても、当人の努力も必要だなと感じたの。それが持続可能なものになるにはビジネスとして仕組み化される必要があって。そうすると本当の社会課題を解決してる人たちって実はビジネスの世界の人たちなんじゃないかって思った。
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なるほど。それからはどうされたんですか?
ながやん
ビジネスを勉強しようと思った。特に町の課題を本当に解決できるような新しいビジネスの現場に立ち会いたいと思って日本政策投資銀行にいく。
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そもそも政治家になりたい、社会課題を解決したいって思ったのは、なんでだったんですか?
ながやん
最初は鹿児島を福岡みたいな魅力的なまちにしたくて知事になりたかったんだよね。政治って利害調整と課題解決なんだけど、ここで生まれる課題解決は本質的な課題解決じゃないなって思って。福岡の活力の源泉は当時から少しずつ動いてたスタートアップで、起業がやりやすい環境になりつつあったり、チャレンジする人たちを応援する文化があったり。そういうとこなんだろうなって思った。
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魅力的なまちにしたいって思われたきっかけはなんだったんですか?
ながやん
それまで陸上のことしか考えてなかったんだけど、高校3年の全国大会で負けて、その時に優勝した選手が高校新記録を出したの。彼が同世代でいる以上、自分がオリンピックに出るのは無理だろうなあと思ってね。それで眼をまちにむけると、面白い人がたくさんいた。そこからまちに興味がではじめたよね。
◆勉強したくて朝読書
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実際に日本政策投資銀行で働いてみてどうでした?
ながやん
政策投資銀行って、就活生的にはめっちゃハイブランドなのよ。一旦就職活動っていうガチな競争社会で自分がどんだけやれるか試したい気持ちもあってさ。入ってみたらそりゃ俺以外超優秀だし、人格者が多いし面白かった。けど俺が文系だったからファイナンスに関する基礎知識を習得するのがすごいストレスで、そこに対する若干の劣等感は感じたよね。でもこれは1回死ぬほど勉強した方が良いと思って勉強してどうにか1年目は乗り越えた。2年目の支店に配属されてからはめっちゃ楽しくて。俺営業向いてるからさ。お客さんが何を求めてるかとかなんとなく分かるから、それで支店で結果が出はじめて、役職がついて部下ができてっていう時にリーマンショックが起きた。
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ではリーマンショックを機に鹿児島に帰られたんですか?
ながやん
最初は仕事も決まってない状態でとりあえず帰ってきた。ギリギリ滑り込んで鹿児島のNPOに入った。
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NPOでは何をされていたんですか?
ながやん
鹿児島市との仕事で起業家の育成をしていた。社会課題の解決をビジネスとして運用するソーシャルビジネスの担い手を育成する仕事。その仕事を2年半やってる中で、起業したことない奴が起業家育成するのダサイなって思って。
あと、銀行員時代にいろんな会社の事業計画とか散々みてきたけど、その経験だけで飯食ってるのもダサイなって思って。それで自分なりに始めたのが天文館で朝読書、TenDokuだね。
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なんで読書だったんですか?
ながやん
それは勉強したかったから。銀行員時代のスキルと経験で飯食ってるのがダサかったから勉強しなきゃと思って。
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じゃあテンラボの始まりは朝読書ですか?
ながやん
読書会がまずは始まりだね。天文館のミスタードーナツに集まって、来てくれたのは職場の先輩1人だったけど、その彼と俺2人でオススメの本を紹介し合ったのが第1回。
天文館で朝おこなわれたTenDoku
◆テンラボ解体から理想のチームへ
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えー、その後はどういった動きだったんですか?
ながやん
読書会をやってたら結構面白い人たちが集まったの。そしたら学ぶだけじゃなくて学んだことを実践してみたいって人たちが一定数いたから、ビジネスを学んでそれを実践する場を作ろうってなった。それで天文館ビジネストークセッション(TenBiz)を始めたの。それはマーケティングとかプロモーションの専門官に話してもらった上で、まちの実際の事例をみんなで課題解決まで持っていく、勝手にコンサルするみたいな。そうしてやっている内に東京中心にやってるビジネスプランのコンペがあったの。ネタでそれに出してみたら決勝に残ったりして。
その時に元々は自分たちが勉強する為につくったコミュニティだったけど、意外とコミュニティの力は社会のいろんな困り事を解決できるのかもしれないって思った。
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なるほど〜。それでテンラボができるんですか?
ながやん
結構大きいきっかけは東日本大震災。震災の時ってパッションいくつ?
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中学校3年生ですね。
ながやん
あー。ちょうどその時期って九州新幹線全線開業の直前だったのね。鹿児島もいよいよこれからだってなってた時に震災が起きて、色んなイベントが自粛されたりして経済が止まりかけたのね。それじゃいかんやろってことでTenDokuとかTenBizの仲間たちと一緒に、売上の一部を社会課題の解決に寄付するコーズマーケティングの仕組みを使って、経済を止めずに復興支援に向けた動きをつくろうってなって『From Kgoshima Project』 っていうのを立ち上げたの。例えば焼酎1本あたり10円、マルヤだとレシート1枚あたり10円とか。それが結構鹿児島の色んな企業が乗っかってくれたり、メディアなどいろんな所に評価もされた。結果TenDokuとかTenBizの動きを法人化した方がいいってなって、Tenを残してTen-Labができた。
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おー!それでテンラボだったんですね!
ながやん
うん、それが9年前。
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最初テンラボはどういった組織だったんですか?
ながやん
TenDokuもTenBizもそれぞれ本業のある人が空き時間とか隙間時間に集まってまちのことをやるチームで。企画書いたり営業行ったりはおれしかできないから、初年度の年商は300万ぐらいで、おれ一人もとても食えないから初年度はNPOに在籍しながら副業としてやってたんだよ。
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本業としてやり始めたのはどのタイミングだったんですか?
ながやん
2年目で年商800万ぐらいになって、おれはどうにか食えるようになった。3年目に結構大きい仕事が入って、確か年商3000万ぐらいまでいったんだよ。その年に人を雇わんといかんと思って3人雇ったの。
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そうだったんですね。いまのテンラボのフリーランスの集合体だとか専業禁止とかそういった組織文化になったきっかけはなんだったんですか?
ながやん
3人雇った次の年に結局6000万くらいまで売上が伸びちゃって。当時はまだ雇うことを考えてたからスタッフも10人ぐらいになったの。スタッフが10人とかいると大変よ。おれがもうマネジメントの方に集中せざるを得なくなって現場を全然見れなくなった時に、永山さん結局何がしたいんですか?組織ばっか大きくなってってスタッフに言われた。おれはこの人たちの雇用を守る為に頑張ってると思ってたけどそうじゃないらしいぞって。結果内紛が起きて一旦解体した。いやもう、いま思うと完全に俺の能力不足だよね。当時のスタッフには本当に申し訳ないと思ってる。
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永山さんはその時雇用を守る為以外にどうしたかったんですか?
ながやん
鹿児島に本質的な仕事ができるコミュニティデザインのチームをつくりたかったのがある。けどその為には一人ひとりが圧倒的な当事者意識を持つ必要があると思った。その当事者意識はどうやって身に付くんだろうって考えた結果、雇用しないってとこに行き着いたのが今から5年ぐらい前かな。その時の体制を知ってる最後のスタッフがあすみんだね。
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当事者意識かぁ。テンラボとして雇用しないって体制をとってるのはそこが強いんですね。
ながやん
そうだね。自分は何ができるのかとか、自分はどんな立場でここにいるのかってことを常に考えていたいし、スタッフにはそれを常に求めたい。
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それはまさにいま入った自分がすごく感じています…。
ながやん
テンラボってチームは圧倒的に説明不足だし、端から見ると分かりづらいし自分から情報取りにいかないと何もわからない。けど自分から情報を取りにいったらみんなめっちゃいい人たちで、心から尽くしてくれる(笑)おれはいま結構理想的なチームだなって思ってみてるけどね。
今年9周年を迎えたテンラボ
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そうですよね。今やってるインタビューもそうだなって思いました。みなさんにインタビューしたい!って言ったら快く引き受けてくださって。おかげさまでみなさんのことを知ることができているし、それは自分から情報を取りにいったからなんだって思いました。