シェア
1999年11月25日、14:00イマジカ試写室での試写で鑑賞。 これはいろんな意味で衝撃でしたね。超低予算の大ヒットとか、ホームビデオ画像で見せきってしまう発明とか、実際に怖いものが映らないホラーとか。 このころからあったのか、この後にできた言葉かわかりませんが、「POV」映画の先駆けでもあったんじゃないでしょうか。 そういう意味でも映画史に残る1本だと思います。 ちなみにこのイマジカでの試写のとき、途中で本当にフィルムが止まるトラブルがあったのですが、私、
1999年11月19日、レンタルビデオで再見。 初見は1998年3月11日、松竹試写室の試写で。日記には「試写室が映画秘宝チームばっかり(笑)」と書いてます。 この映画はものすごく仕事したなあ。いろんな雑誌で特集作ったりレビュー書いたり。そのためにサンプルビデオ取り寄せて、何度繰り返しみたことか。個人的にサントラCD買ったりもしました。 まあ映画に関していまさら語ることはないですね。 <ポスターを見てみよう> そして1年半後のこの日は、恵比寿ガーデンプレイス
1999年9月20日、15:30東宝東和試写室で鑑賞。 やっと忘却度100%地獄から抜け出せました。 とはいえ、いまさら何か語ることもない有名作ですが。 試写後の会場、皆無言だけど「おお…」という空気になったのをいまでも覚えてるなあ。 <ポスターを見てみよう> 映画の冒頭、なぜかシャマランでもなくプロデューサーでもなく、ブルース・ウィリスから「結末は決して人に教えないでください」的なテロップが入るんですよね。(あれ、マスコミ試写だけじゃないですよね?) <
1999年6月24日、19:30渋谷パンテオンでの試写で鑑賞。 マトリックスはさすがの私でも忘れようがなく。 リアルタイムで見られてよかった。「おお、新しい映画だ!」っていう感触はこの映画はトップクラスでしたから。 <ポスターを見てみよう> はい、マトリックスです。 <ネットで調べてみる> そういえば当時、緑の字がバラバラ出てくるのは、当然「攻殻機動隊」を思い出しましたが、緑の字以外にも似てる箇所はいっぱいあったんですね(という検証動画が出てきました)。で
1998年9月29日、セルビデオで鑑賞。 劇場版の「ミスター・ビーン」です。版元のアミューズの方が送ってくれました。 これがとにかく最高で。日本語吹き替え版が。なんせビーンの役は広川太一郎さん。そして、喋らないビーンが、広川ビーンは全編喋りっぱなし、しかもずっと日本語のダジャレを連発するという快作なのです。 「ボンレスハム! あ、チーズか」 「9、銃」 「気持ちブルーになるな。震えがくるよ、ブルーブルーなんて」 「額っ!」 「誰かシンナー知んない? 君のおかげかもシン
1998年9月19日、レンタルビデオで鑑賞。 これは私にはほぼ完璧な映画です。 私と私の尊敬する先輩たちとの中では、白のタートルネックのことを必ず、「わらの犬のスーザン・ジョージみたいな」と表現します。 そして私には一般映画史上、いちばんエロいセックスシーンもこの映画。 もっとペキンパーやダスティン・ホフマンの話をしろよですが。 <ネットで調べてみる> 映画自体は数回ですけど、スーザン・ジョージのエロシーンは何十回と見てます。 また見ちゃいました。そこだけ。
1998年8月25日、19:00マリオン日劇の試写で鑑賞。 この映画で、戦争映画の描写が様変わりしたことは皆さんご存知のとおり。 やっぱりまだ後続の映画もなく、前知識もなく、当時としてはベストな日劇のスクリーンでこれを経験できたのは大きかったです。 ライアン二等兵に、すごくあっさり会うシーンが好きです。 <ネットで調べてみる> ちなみに私のHDDレコーダー、過去に録画したのが残ってるのですが、冒頭20分とラスト30分の戦闘シーンだけ切り取ってます。 ちゃんと全
1997年5月22日、テレビ放送(テレ東)で鑑賞。 このとき見たのは途中からで、「戻るとテレ東で大陸横断超特急やってた!くそ!」と日記に悔しさが滲んでいます。 でもこの後、現在に至るまでで、5回以上見てるかと思います。 広川太一郎さん(ジーン・ワイルダー)の大傑作。この映画について、私、何度原稿書いたことでしょう。 <ポスターを見てみよう> これもさんざん書いたことですけど、劇中、ジーン・ワイルダーは3回列車から落ちます。もちろん「わー」とか「おー」とか叫ぶ
1995年5月20日、深夜テレビで再見。 まあ子供のころから何度も見てますからね。日本映画のオールスター大作って、年代的にこれが最初だった印象があります。 内容もだいたい覚えてるし、農民役で草刈正雄さんが一瞬出てるとかまでキャストもだいたい覚えてるかと思います。 「まだ子供じゃないか」by竜雷太さん。 <ポスターを見てみよう> 当時、ポスターや予告コマーシャルですごくわくわくしたなあ。原作も読んだし、シナリオ本も買ったことを思い出しました。 <ネットで調べて
1995年5月3日、17:00銀座の映画館で鑑賞。 日記に書いてあるのが「「JM」とどちらにするか迷ったが」という記述。正しい判断をしてよかったよかった。 まあレオンについていまさら私が何か語ることもなく。 後のテレビ放送では、ゲイリー・オールドマンの安原義人さんがキレキレでした。 <ポスターを見てみよう> このときまでは、リュック・ベッソンもジャン・レノもよかったんだけどなあ(さらっと暴言)。 <ネットで調べてみる> この映画も少女を性的な目で云々っ
1995年3月21日、テレビ放送で鑑賞。 もともとちゃんと覚えてるほうの映画だったうえに、これ書いてる前年(2020年)にも見直してるので、忘却度はほぼ0に近いです。 あと「ハンニバル」公開時に、雑誌の特集を作ったからこれも見直してたし。 映画の内容だけでなく、撮影がジョナサン・デミ作品を多く撮ってる日系のタク・フジモトさんとかって情報もちゃんと覚えております。 吹き替えの戸田恵子さんと石田太郎さんも超名演。 <ポスターを見てみよう> いずれ出てきますが
1995年2月26日、借りたビデオで鑑賞。 好きな映画のうえに、2015年にも再見してるので、忘却度は低め。 知的障害がある庭師のピーター・セラーズが、その素朴な発言が逆に何かの大物と勘違いされて、どんどん有名になる話。 ラストシーンはあまりに有名ですね。 <ポスターを見てみよう> このポスタービジュアルの後ろ姿、ラストシーンのかと思い込んでましたが、傘やバッグ持ってるから違いますね。 しかもこれ、ピーター・セラーズの遺作でもあるんですよね。それを踏まえ
1995年2月24日、有楽町マリオン(おそらく日劇)で19:45の回で鑑賞。 当時大ヒット中だったかと。これはさすがにだいたい覚えてますね。 撮影監督だったヤン・デ・ボンの監督デビュー作。 <ポスターを見てみよう> 「ラッシュ・アワーは命がけ」って、そんなコピーだったんだ。記憶になかった。 <ネットで調べてみる> 1998年10月11日に日曜洋画劇場で再見してます。デニス・ホッパーが悪役モードの野沢那智さんでしたね。
1995年1月8日、テレビ放送(この前日のゴールデン洋画劇場)で鑑賞。 これが初見だったか再見だったかは記憶になく(テレビ放送はこの前に一度あり)。 あと忘却度に関してはちょっとずるで、2020年6月にまたテレビ放送されたのを見たばかりなので、20〜30%は得してるかと思います。 当時、予告編で初めて見た「イーストウッド、クリント・イーストウッド」は手を叩いて笑ったなあ。 <ポスターを見てみよう> 続編がパート3までクオリティ落ちなかった稀有なシリーズでした