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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。
東京のバーで恋を語らせたら林さんの右に出る者はいない。
渋谷という刺激を求める男女が集う街で、バーという人間の本質が垣間見える場で、20年以上も男女のアレコレを見続けた林さんが綴った恋愛小説。
それはある秋の夕方、独りバーに訪れた女性のセリフから始まる。
「恋愛に季節があるってご存じですか?」
春に始まった恋は夏に盛り上がり、秋には静かにその色合いを薄め、冬に儚くも終わりを告げる。
マスターは彼女に春の季節を彩るかのように「最高の出会い」という意のカクテル、キールを差し出す。傍ら店内には「私は夢にも思わなかった。秋がこんなに早く訪れるなんて」と恋の陰りを嘆くようにアニタ・オデイの『アーリー・オータム』が流れる。かくして春の華やかさと秋の儚さが相反するようにバーカウンターに共鳴する。
季節毎にバーに訪れる男女が、お酒と音楽に彩られながら恋の記憶を紡ぐ魅惑の物語。
中でも心掴まれるのは、1月にバーに訪れた男の片思いの話だ。ドリンクはギネス、音楽は「ムーン・リヴァー」がマスターによりセレクトされる。
男が恋い焦がれる女性には彼氏がいる。それを知りながらも男は「このまま好きでいてもいいですか」と気持ちを絶やさない。
マスターは「もしかして彼女がいつか振り向いてくれると思っていないですよね」とそれが叶わぬ恋だと男を冷静に諭しながらも、大女優オードリー・ヘップバーンに長年片思いをしたヘンリー・マンシーニの儚くも美しい恋の話をする。
「ごめんね、ヘンリー」「なにを言ってるんだ、オードリー。君が幸せそうなのが僕には一番なんだ」
叶わぬ「現実」と向き合った者にだけ紡がれる美しい「幻想」は、バーカウンターでギネスを傾ける男の心を静かに温めた。
21人の男女のほろ苦くも甘美な恋の記憶は、いつか新たな恋に塗り替えられる時が来るのだろうか。最後のマスターの恋物語を読み終えた僕は、本を閉じて自らの恋の記憶に触れた。
この小説が文庫化されたら彼女は僕の解説文に気がついてくれるだろうか。