【祖母の日記】平成11年8月1日(日)天候/晴
今は亡き父方の祖母の5年日記が発掘されました。
最初の記事から23年の時を経て2022年の今、祖母の何気ない日常を今!振り返ることで大切なことに気が付いたりするかも?
いや、ただの直感。とにかく今これをここに残すことに意味がありそうな気がしたのでやってみます。
この一つ前の関西人の記事を経て、祖母の日記をアレして行くという良い感じのレールに辿りついた幸運をとても嬉しく思っています笑
ではではレッツスタート。
*
祖母は10人くらいの兄弟を束ねる長女(多分)として育ちました。
時代背景的に、しっかりとした教育を受けることが出来ず、幼い頃から働いていたため読み書きが完璧では有りません。本人はそれをコンプレックスに思っていたと聞いております。
なので、文章的にチャーミングな部分がシバシバ登場しますが、ただ可愛いという以外の視点も読み手それぞれの解釈で受け取って頂ければ幸いでございます。
プライバシーに配慮しながらも可能な限り本分を忠実に引用しつつ、今の私の補足や解釈を添えてお届けします。
それでは早速1ページ目から。
まず、このお祝い大イベントに私は参加した記憶がない。
当時私はまだ14歳だったので、祖母がいる地元に住んでいたはず。しかしながらこの金婚式には行っていないと思う。何をしていたのだろうか?
まぁそれはいいとして、S織が来ないのが残ねんとだけ記されておりますので私は頭数に入っていない笑
孫がね、多いんですよ。
ざっと10人くらいでしょうか。
#負け惜しみでしかない
そしてそして本当に本当に、なんて事ないツッコミとしては、大沼グリーンピアじゃなくてグリーンピア大沼なんですね、地元の色々遊べるホテル的なところです。WEBサイトを調べたらこのレジャー施設は今も健在。
#こういう地味な言い間違いみたいなものも愛おしい
一体どんな食事メニューが口に合わなかったのか気になるところですが、孫たちに囲まれて、さぞかし満たされた時間だったことでしょう。
改めて実感、この日記を残してくれた祖母、その夫の祖父、そしてその息子である私の父や妻(私の母)、いやいや、祖母の両親やらそのずっと前の皆様。誰1人欠けても今の私、なんなら私の子供たち(4歳、2歳)は存在しない。
ものすごく普通のことを言いますが本当に思う。
「奇跡的すぎる」
誰1人の例外なく、これを読んでくださっている皆様にも、生きているかどうかは別として100%漏れなく両親、祖父母、ご先祖、なまら多くの人々の流れの中、どれ一つ欠けても今は無い、だから何?って感じですがシンプルに凄いし有難い。
ということで、その有り難みを再確認しつつ
本日も床に付きたいと思います。
ありがとうおばあちゃん&ご先祖様の皆様。
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