選挙制度に関しての私案
最近、コロナ対策などの不手際や首相の伝達能力の低さもあり、だいぶ政権の支持率が落ちているようです。とはいえ、選挙によって選ばれた代表です、選挙民のレベルを超えることはないように思います。
ただし、その選挙自体が偏りのあるものであった際には、当然その代表は一定の偏りのあるものになるでしょう。現状小選挙区において、衆議院で2倍、参議院で3倍超の格差が発生しているため、とても公平とは言いがたいものとなってしまっています。
これをより公平な形に、「選挙制度を変えずに」するにはどうしたらよいか、と言うことについて考えてみました。選挙制度自体への意見は利害が絡む話であり、また実際の選挙方式別の費用などがわからないので、論点から外します。
参議院では県の合区がもうなされていますが、地方においては、未だ密接なつながりがあるように思います。廃藩置県以来の行政枠の改訂につながる話でもあり、今現在においてもそれほど密接でないところが一緒くたになること自体には議員の中においてはやはり反対が多いようです。とはいえ、格差対策を現状の制度の下でやるには他の選択肢はないです。
一方、都市民としては、どう考えても一票の価値が低い問題は否めません。緊急事態宣言下などにおいて、どのような扱いを受けてきたか。投票率の関係もあり政治的に影響力が低いことも影響しているでしょう。
これについては、たとえばコロナのワクチン政策について考えてみていただければと思いますが、65歳以上に対しては重症化しやすいと言うことで全国で優先しましたが、都市民に関しては患者率も多くてかかりやすいといえますが、優先することなく、差別になるという論理で地方と同等に動いています。結果、一部都市では致命的に遅い状態になっています。一部地方では中学生に打ち始めているというのに。平等の名の下の不平等、といえるのではないでしょうか。これも政治力不足が根幹にあると考えます。老人>若者、地方民>都市民ですね。
そんなこんなで、選挙についての意見をしたためたくなりました。
現行、衆議院では小選挙区と地方ブロックの比例代表、参議院では小選挙区と全国ブロックの比例代表が定員の半分ずつという形で選挙がおこなわれています。その中でこれだけの差分が起きる原因は以下にあると考えています。
1.小選挙区・比例代表それぞれが独立しておこなわれている
先ほどの2倍程度の差は小選挙区のもので比例代表が考慮されたものではありません。
2.参議院の改選数が少ないことにより、区切りによる人数割り当てが難しい
合区にしても人数足りない、もっと広げないととなっているけれども、前述の田舎事情により?なるべく合区の増加は避けたい。
と言うようなことがあると思っています。
そこで私の提言が以下です。
1.衆議院選挙においては、小選挙区と比例代表の2票の合計での格差を減らす。
小選挙区における住民数が少なくなりそうなブロックにおいては、比例代表での当選数を減少させる。具体的には、南関東・東京・近畿あたりの比例代表を増やし、その他の区域を大幅に減らす。
地方においては、小選挙が好まれることがある一方、都市では各所から移転してきた住民が多くそこまで地元密着は求められないこともあり、住民の性質にも近いものと考えます。
この方式にすると、ブロック内での小選挙区の乖離を減らし、その平均を出した後、それに基づいて各ブロックの比例の数を割り当てると言う形になります。
2.参議院選挙においては、小選挙区・比例代表それぞれの選挙を交互におこなう
参議院においては、両方を合算して考えても合区も解消できないですし、解消してしまえば1の案を利用しても一票の格差は広がります。何よりも数の増加が必要です。
そうしたときに、小選挙区148と比例代表100を分けて交互に実施することで、小選挙区の格差は下げられるかな、と考えました。同時選挙の時でも議員の身分を持つものを残す、と言う意味合いにおいては、半分ではなくなるものの、最低比例代表の人数100人が残ることになるので、問題とならないと考えます。
小選挙区が単独になるので、衆議院よりは一票の格差は残るものと思います。ただ、直近の参議院選挙の有権者数105886063人に対して、148人の議員として、議員一人あたりの平均値が715446人。最も有権者数が少ない鳥取県が474342人、66%程度なので、上を同程度の乖離と考えると66-150%で2.27倍、そこまではいかない(上に関しては都道府県での割り振りなので大きな差が出にくいので)として合区がなくても2倍くらいにおさめることは可能に思います。時間があればきれいに試算をしてみたいとは思うけれども、これは機械がやるべき作業ですね。
(ただ、ここで疑問がありまして、なぜ衆院は2倍も格差があるんでしょう…人数も多いので調整しやすいはずなのですが…)
すぐどうこうなるものではないですが、人が平等であるためには思考を止めないことが必要と思います。衆愚政治は「衆」からの意見が反映されてはじめて納得が得られます。せめてこのレベルまで政治を回復させるために。