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【あの卒業生は今】 坂上 道嗣さん

【あの卒業生は今】vol.18

「メディアを通して故郷を元気にしたい」そう語る坂上さんに、現在の職業やそこにたどり着くまでの道のり、学生時代のエピソードについてお聞きしました。
 
-自己紹介をお願いします。
 2003年に経済学部経済学科を卒業した坂上道嗣です。神奈川県平塚市で8人兄弟の6番目として生まれ育ちました。
高校卒業後は自動車メーカーの工場で半年間働き、その収入で専門学校に進学しようと考えていましたが、大学受験に切り替えました。
そして、半年間バイトをしながら独学で勉強しましたが、どこも受からなかったです(笑)。
その後1年間、新聞奨学生として予備校に通い、やっと受かった大学が桜美林でしたね。
現在は、山陰放送で働いています。

-どんな学生でしたか?
正直成績は良かったです。(笑)授業もサボらずに受けていたし、遊びもアルバイトも頑張っていましたよ。
山陰放送で働く前に新卒で就職したIT教育系のベンチャー企業や、コンビニ、焼肉店など、さまざまなアルバイトをしていました。
 
-学生時代の印象に残っていることは何ですか?
けやきの広場が思い出に残っています。仲間と話しながらぼーっとしたり将来のことについて悶々と考えていました。
実は、大学時代、芸能事務所に所属していた時期もあり、俳優活動も経験しまして、、、
「いつか有名な俳優になってやる!」なんてことも、仲間と話してたと思います。
社会に出たら多くの人の役に立てる人財になりたい!なんてことを考えてましたね。
 
 
-大学生活で楽しかったことはなんですか?
仲間と過ごした時間ですね。当時、淵野辺駅前のマンションで共同生活している2人の友人がいて、
平日はそこに居候させてもらい、週末は実家に帰る生活を2年ほどしてましたね。
恋愛のことだったり将来のことだったり、とにかく仲間と語り合う時間がとてもたのしかったです。
 
-逆に嫌だったことは何ですか?  
大学生活で嫌な思い出はないですね。
強いて言うなら淵野辺駅からのバスに乗るのが面倒くさかったです。すごく並びますよね(笑)
 
-大学生のうちに経験した方がいいことはなんですか?
やりたいと思ったことはすべてチャレンジした方がいいと思います。
授業を真面目に受けるだけでなく、様々なアルバイトをしたり、神奈川県の社会人サッカーチームで活動したりしていました。
短期間でしたが俳優活動も、チャレンジのひとつでした!笑
 
-勉強やバイトなどを両立するコツを教えていただきたいです。
あまり深く考えないことじゃないですかね。(笑)
今も仕事していて、、、すごくつらいことってあるじゃないですか!?つらいことも楽しもうという気持ちで取り組んじゃうのがいいと思います。
つらいと思ったらつらくなってしまうので。遊び心をもってちょっとふざけてみたりね。
本当につらくてどうしようもない時は、環境を変えてみるのもいいんじゃないかなって思います。
 
-心が折れた経験はありますか?
冒頭、新聞奨学生の話をしたと思うんですけど、当時、杉並区の某新聞販売店で働きながら予備校に通ってまして、、、
予備校代と家賃・食事は補助してくれて月給は7万円だったかなぁ。今のところ、人生で一番つらかった経験ですね。
その時期って、地元の同級生たちの多くは大学生活を楽しんでいるんですよね。何度も挫けそうにもなったけど、
今つらいことがあった時に、あの時のつらさと比べると楽だと思えます。
 
-卒業後の進路について教えてください。                                                                         
卒業後に就職したのは、在学中にアルバイトをしていた会社で、
インターネットとテレビ会議システム等を活用した教育サービスを提供するベンチャー企業でした。
大学卒業と同時に入社したので、就職活動はほぼしてません。
最初は小中高生に勉強を教える先生をしていたんですが、先生役もそこそこに、すぐ営業に放り出されました(笑)
入社当時・社員5人くらいの企業だったので、最初はよくわからないまま、見よう見まねで営業活動していましたね。
その後、中途で入ってきたセカンドキャリアの人達に「営業とは?」などを教えてもらいました。
その過程で、良いと思ったことは取り入れて、違うと思ったことは取り入れずに自分の営業スタイルを構築していったと思います。
そして、4年半勤めた前職時代に島根県松江市出身の女性と出会い・付き合い・結婚し、島根に移住をしよう!ってことになったんです。
会社を辞め、山陰地方で就職活動をして採用してくれた会社が山陰放送でした。
初任地は東京支社で、営業を約9年、その後、報道部で4年半つとめました。
報道部では、ニュース番組の制作・放送に携わり、取材をして原稿を書き、時にはカメラも回し、
ディープな事件・事故や地震などの災害報道も経験しました。
デスクと言われる編集長も経験させてもらいましたが、未熟者にはつらい経験でしたね(笑)
そして、約2年前に東京支社の営業に戻り、今に至ります。
放送局の営業は、主にテレビ・ラジオ番組のコマーシャル(CM)の枠を売るのが仕事です。
スポンサー・広告代理店をまわり、多くの人とコミュニケーションをして視聴率とアイデアとガッツで発注を勝ち取るのです。
意外とアナログな業界だったことに当初は驚きましたが、社内外の人たちと信頼関係を築くことが重要です。
会食などの接待や、ゴルフのお付き合いなどもありますが、そういう機会を積極的に作るかどうかは自分次第だとも思います。
コロナ禍真っ只中で東京支社に戻ってきた時は、オンラインでの挨拶や打合せは苦手でしたね。
オンラインでのやり取りはメリットもあると思いますが、やはり対面のほうが良いと思っています。
 
-営業で意識していることはありますか?
「挨拶をする・お礼をする・ミスをしたら謝る」という基本的なことは常に意識しています。
例えば、重大なミスが起きたら、電話やメールではなく、朝一に直接行って謝罪することを心がけています。
コロナ禍で対面のやり取りが減ってますが、直接会って会話することが大事ですよ。
あとは、変な嘘をつかないことですね。(変な嘘をつくと、まわりに迷惑をかけたり、信用を失ったりするからです。)
自分の魅力を伝えつつ、相手を好きになって共感できる時間が多くなれば、どんな職種の営業でも楽しめると思います。
 
-やってみたいことなどはありますか?
元神奈川県民ですが、今は島根県民として山陰放送で働いています。
ゆかりはないけど縁がある!ってなことで、山陰は妻の地元でもあり、子どももいるので第二の故郷のような感覚です。
東京での単身赴任生活もあってか、故郷を思う気持ちが強くなりましたね。
今は、山陰放送の仕事を通して、地元経済への貢献もできれば考えています。
多くのスポンサーに協賛してもらえるような、多くの人が集まる・観る・聴く、リアルイベントなどをいつか開催したいですね。
地元を元気にする方法はさまざまありますが、日々模索しながら、地元を!日本を!元気にしていきたいです。
 
-坂上さんにとっての桜美林大学とはなんですか?
社会に出るために必要な場所でした。なんて言えば良いですかね…桜の美しい林…ではなくて(笑)
今があるのは桜美林で生活したお陰です。表現するのは難しいですが、通過点でもあり、ターニングポイントでもあります。


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