![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108366149/rectangle_large_type_2_bd32bdfcce82e2f7c13314d8283d9f6b.jpeg?width=1200)
【あの卒業生は今】岡田結花さん
【あの卒業生は今】vol.23
自慢したいくらいの仲間と出会うことができた大学時代だったと語る岡田結花さん。そんな岡田さんに大学でのサークル活動や卒業後のご職業についてお聞きしました。
-自己紹介をお願いします。
2005年度に文学部英語英米文学科を卒業しました、岡田結花です。卒業後マスコミ系の仕事に興味があったので東京のインターネット広告代理店に就職しました。その次に、WEBのコンテンツ制作会社、そして大手総合広告代理店を経て、現在は長野県のWEBマーケティング会社 株式会社ファインピクサーに勤めています。結婚を機に長野に帰り、WEB&SNSライターとしてフリーランスを1年ほど経験しましたが、子どもが産まれたのをきっかけに、現在の会社で正社員として働いています。
-桜美林大学に入学したきっかけはなんですか?
英語が好きだったので、語学をもっと学べる環境と、留学制度が充実している学校を探していたんです。東京に出たいという気持ちもあったので、インスピレーションで惹かれた桜美林を選びました。
高校でチアリーダーをしていたので、チアリーダー部が強いという点も決め手の1つでしたが、色々なサークルや部活を見学してみると、興味があったダンスの世界を知りたいいう思いが強くなり「OEP」というサークルに所属を決めました。
-OEPについてのエピソードをお聞きしたいです!
当時のOEPはクラブイベントを自ら企画し主催、出演も行うサークルでした。私はここで初めてダンスを知り、ダンスを学びました。当時の先輩達のスタンスが「ダンスは教えてもらうよりクラブなどで実際に感じてそこで学べ」というのもありましたので、実際のクラブでのショーケースなどを沢山見せてもらって、クラブの世界観であったり音楽を肌で感じ、この世界を知って行ったように思います。
長野から出て来た田舎者からすると、「東京のクラブ」は想像しただけでワクワクドキドキ。ダンスは初心者でしたが先輩に基礎から教えてもらえるので、毎日サークルのために学校に行っていたくらいサークル活動が好きだったし充実していました。
-OEPでは代表としても活動したとお聞きしました!なぜチャレンジしようと思ったのですか?
高校でも部活の部長をしたり、生徒会役員を務めていたりしました。たぶんそういうことが好きなんです。周りの子達もそれに気づいて「やりなよ〜」ってすすめてくれて、はじめはノリで決まりました(笑)
当時はクラブでも経験を積んだ実力のあるメンバーもいたりとか、なかなか個性豊かで猛獣使いの気分でした。でも基本スタンス、音楽が好きとかそういうところは同じだったので、通じ合う部分もあり、そんな個性豊かな仲間に出会えたこの期間はとっても印象的です。
-益子さんとはどんな経緯で仲良くなったのですか?
お互いに1年生の時にサークルで出会ってから、ずっと同期として仲が良かったです。益子さんはもう1人の同期と2人でラップをしていて、私は女子4人でダンスチームを組んでいました。当時は大学祭にダンスコンテストがあったのですが、4年生の時のコンテストでは大会MCを務めたり、益子さんたちのラップのバックダンサーをしてコラボをしたりと、なかなか経験出来ない貴重な体験をしました。?とてもいい思い出です。今思い出してもなんだか泣けます。
-今のうちに経験しておいた方がいいということはなんですか?
大学をうまく使うことです。せっかく入学したからにはチャンスを掴む学生生活を送りたくないですか?私自身、アメリカUCLAへの短期留学を経験しました。現地の生の雰囲気を感じることができた貴重な経験です。いざ飛び込んでみると日本では経験出来ないようなことが毎日起きていました。その時に出会った外国の友達とは今も繋がっています。行って良かったと本当に思います。
-卒業後の進路を教えてください。
大学時代のOEPの経験から、自分から何かを表現して発信し、人を楽しませる職業に就きたいと考えていました。
そのため3年生の頃は、マスコミ業界に興味を持ちテレビ局に行きたいと思っていました。就活を進めるうちに、マスコミはテレビなどだけではなくインターネット広告代理店というものが存在することを知りました。当時はインターネット広告代理店が出始めた頃で、ベンチャー企業が多くスマホもない時代だったのでその目新しさが新鮮でした。
そして、ベンチャー企業のインターネット広告代理店に就職し、企画営業兼ガラケーのサイトを運営するディレクターとして働きました。企画を考えることは大学時代から好きだったので、楽しんで仕事をすることができました。
数年経つと、もっと細かいコンテンツを作る仕事に魅力を感じ、デコメ※を使ったプロモーションをディレクションする仕事に転職しました。。広告代理店時代は、自分で「作る」ことはできなかったので、営業をしながら取引先と一緒に新しいデコメを作り上げることは、とても楽しかったです。
広告・コンテンツと細かい部分を知ることが出来たので、次はもっと広い視野でより多くのことを知りたいと感じ、転職することにしました。大きなことをするにはそれなりに大きい会社に入らなければならないと思い、キャリアを積み上げたことで新卒の時には落ちてしまった「博報堂」に中途採用で入社することができました。
そこで、キリンビールの担当となり、当時多くの企業も取り組み始めたSNS野担当をしました。まだInstagramは無かったので、twitterとFacebookを使ったSNSマーケティングを学び、実際に中の人をしていました。
その後、結婚を機に出身である長野に帰ることになりました。当時はSNSマーケティングを経験したことある人は少なく、最初はフリーランスとして働いていましたが、依頼を受ける仕事は本当に沢山ありましたね。
子どもができた後は、家で育児をしながら仕事をするのは難しく、株式会社ファインピクサーという会社に転職しました。SNSマーケティング、そしてWEBディレクターとして働いています。
-今後の目標はなんですか?
仕事がすごく好きなので、続けていきたいと思っています。しかし、子どもが2人共小さいのでいますぐはフルタイムで働けてないような状況です。働きたいけど働けないもどかしさを感じつつも、働きながら子どもを手のかからない年までしっかり育てることも、目先の目標です。
今は大きな目標というより、目の前の目標をしっかりこなしていきたいです。子どもが大きくなったら、もっと仕事の範囲を広げ、頑張ってその姿を子ども達にに見せたいです。
-あなたにとっての桜美林大学とはなんですか?
とにかく楽しかったです。卒業してからも繋がっていたいと思える仲間に出会えた大学時代。。社会人になっても人に自慢したくなるくらいの仲間たちに出会えた4年間は私の人生の中でも輝いていたなと感じます。一瞬一瞬が貴重で、今思い出してもわくわくすることばかりです。桜美林大学は、人生において貴重な経験と出会いを与えてくれた場所です。
みなさんも、今しかできないことをやるんだって思いで大学時代楽しんでください。
※デコメ・・・デコレーションメール