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先祖とつながる地蔵盆

毎年8月23日は、地元の地蔵盆である。

この地蔵盆は、我が実家と深いつながりがあって、
ずっとずっと前、たぶん江戸時代に
実家の井戸から、お地蔵様が現れて
地域のお地蔵様として祀るようになって以来、
続く実家と所縁のあるお祭りなのだ。

ちなみに、
お地蔵さんが出てきたという井戸は
道路拡張によって、実家は移転し
残念ながらなくなってしまい、
その話がほんとかどうかは、
今はたしかめようもない。

私が小学生のときのこと。
祖父が中心となって、
地域の人に寄附を募り
地蔵堂を建て直したことがあった。
その寄進者一同の200人以上の名前を、
間違えないようにと
祖父が息をひそめかなり集中し
実家の縁側で書いていたことを
今でも鮮明に、覚えている。

去年まで、地蔵堂に
その寄進者一同の名前の木版は
掲げられていて
その祖父の字を見るたび、
わたしは筆を持つ祖父の手を
思い出していた。

祖父は、とてもまじめで、器用で、
人のためにうごく人だった。


父もまた、
毎年灯される地蔵盆用の
お提灯の木の枠を
いくつも、いくつも作って
準備をしたり、
毎年、毎年
慣れない、企業回りをして
寄付集めに奮闘をしてきた。


誰に褒められるわけではない


誰に頼まれたわけでもない。


でも、この地域に暮らす一人として
地域の子供をまもってくれる
お地蔵様への感謝の気持ち?

祖父も父も
自分の仕事、自分事として
もくもくと地蔵盆を続けてきた。

もちろん、祖父や父だけではできなくて
多くの公民館関係者の方、育成会の方の
ご協力あって、
続けてくることができたことなのだが・・・。

父が80歳を過ぎたころ、だったと思う。
たぶん、このままでは
地蔵盆の継続が危ぶまれると感じたのか
公民館活動の一環として根付くように
尽力をし、
数年前、どうにかこの地蔵盆が
地域でつづけていける道筋を作り
85歳を迎えたころ、
地蔵盆保存会からは引退ができた。

それでも、今も出来る限り
地蔵盆に関わっていようと
今年もわたしと地蔵盆前日に、
地蔵堂を飾るお花を
たくさん買ってお供えをした。


当日もお参りにも行くと
公民館の役員の方も
「よく来てくれた」と
あたたかく迎えてくれる。



なぜか毎年、この地蔵盆には雨が降る。               


そして今年も直前に、激しく雷が鳴りだした。
雨もひとしきり降った。

しかし、開始時刻には雨があがった。

日本各地で同じことが
おこってはいるのだろうが
少子化が進み
せっかくたてた櫓の周りで
地蔵盆の踊りを楽しむ子供は
まばらだった。

それでも、夏の終わり
今年の地蔵盆にも
89歳を生きる父は
無事、参加できた。

ありがたい。
ありがたい。

わたしは、子供のころから
何度も手を合わせてきた
お地蔵様に、
手を合わせた。






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