「母の日」に母を思う
今日が
母の日だと知っていた。
母になって、すでに20年のはずだが
どうやら私は
自分が母の自覚足りないせいか
「母の日」の当事者だとは思えず。
いまだ 娘の意識が色濃くて
写真の母に 話しかけてた。
以前、「母の日」に
母の衣替えをするのは最後かも、
とつぶやいていたことはホントになった。
カーネーションを持って
カンタキに入所していた
母を訪ねた去年
「今日は母の日だよ」
と声をかけると
「え、私お母さんなの?」って
驚いていた母。
でも、そういえば、
母は認知症になるずっと前から、
「いまだに、自分がお母さんをやってることが
不思議でしょうがない」
そう言っていたな。
なんだ
DNA ってことか。
長い間、母を求めていながら
母を許せない気持ちが
責めている気持ちが
私にはぬぐえなかった。
でも、
今は
そこに、
母という言葉を口にするとき、
母を思い出すとき、
母の個性も怖かったときも
こまったところも含めて
ただ愛おしく、尊敬する気持ちと
重なって感じられる。
それが、どのくらい幸せなことか、と
母の日に、母を思う。