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雪玉 2025
なそうとしてやめたのか、なそうとしてなせなかったのか。これでなしおえたのか。都内の雪は一晩で降り止みふりやみ、すぐに融けた。載せていた頭は落ちてとけたのか、もともとなかったのか。雪が降ったことも、未達の雪だるま、または既達の雪玉は作った人と囲んだ人だけの記憶となり、じきに消える。おおかたのヒトの所産そのものかもしれない。私にも、なそうとしてやめたのか、なそうとしてなせなかったのか、または、なしおえたのか、自分でもわからないことはいくつもある。
「雪が降るとね、あそこにいつも雪玉があるんだよ。」
「あのポストの横んとこ?」
「そう。あそこ。で、いつも頭はないんだ。」
「そうなんだ。何で?」
「こどもが撥ねられたんだって。雪だるま作ってるときさ、あそこで・・・」
「え?知らないな。最近の事じゃないよね?」
「もう何十年も前だけどね、噂じゃ、そこんとこの息子だったらしいよ。」
甲州街道際の郵便差出箱13号から広い煉瓦敷きの歩道を隔てた反対側に並ぶ中層マンションに二階建ての老朽家屋が挟まれている。同僚が今は店看板も白く塗り潰されているその元ラーメン屋を顎で指す。いつも空き家と思って通り過ぎていたが、ある夜一階の奥に人の明かりがある事に気がついた。気配。誰かは住んでいる。ひっそりと。
「毎年じゃないけどな。東京になんせ雪は滅多に積もらねエし。すぐ溶けちまって、今年はどうやら雪寄せだけで終わっちまったんだろうな・・・。」
店の入り口だった両開きの木の引き戸に雪の水気が下から染み上がっている。その一枚に真新しい黄色いスコップが一本立てかけてある。なそうとしてやめたのか。なし終えたのか。どちらにせよ、ならば、ここに一体の笑顔の雪だるまが佇むことはきっとない。
年月に伸された哀しみを胸に、死に別れた息子を弔う雪の夜の年老いた人影。雪は昨日、夜中に積もった。予報を聞いてスコップを買いに行ったのかもしれない。人影がそっと雪玉に触れる。雪玉はほのかに橙色の明かりをまとう。そこになくした夢が詰まっている。雪玉からあふれる声や映像。その中に戻れるなら、それでいい。
また降る雪を待てばいい。雪の日の「ロコ」を待てばいい。
この元ラーメン屋の家屋が2025年2月、取り壊されていた。