防災スペシャル~藤川アナの言葉で知る現在地~
私がプロデューサーを務めるラジオ大阪の朝(月~金 7時半~11時)の生ワイド番組『新しいおとなの朝に ハッピー・プラス』(以下ハピプラ)に関するこぼれ話。きょうは3月11日に放送された防災スペシャルについてのお話です。
昨日は東日本大震災の地震発生からちょうど10年ということで、ラジオ大阪の3つのワイド番組が「防災スペシャル 明日のために今できること」という特別企画でつながり、ゲストのお話を聴きながら防災に関する知識や理解を深めるという内容でお送りした。ハピプラでは9時台にOBC藤川貴央アナが出演し、被災者そして記者としての自身の体験談を語っていただいた。当時福島のテレビ局に勤務していた藤川アナがおよそ2年にわたり被災地を丁寧に取材してきたことがよく分かる生の体験の数々。それは恐怖であり悲惨でありリアルであり、私自身大きな衝撃を受けたし、リスナーの皆さんからも多くの反響が寄せられた。
先週のこと、今回の防災企画の打ち合わせで藤川アナから自身の体験の詳細(のごく一部)を聞かせて頂いた。きのう放送で語られたものもそこには含まれているし、もっと強烈なエピソードもあった。話を聴きながら実にいろんなことを感じたのではあるが、そこで湧き上がった感情の一つ、もう自分自身が本当に情けなくなった。
私は藤川アナとは同僚で、福島のテレビ局にいたこともそこで震災に遭ったことも知ってはいたが当時の話はほとんど聞いたことがなかった。ここ2年ほど同じ部署にいて今は一緒に番組もしているのに、震災の体験やそこから大阪に来るまでの大まかな流れすら、昨年彼がゲスト出演したMBSラジオ『次は~新福島!』を聴いて初めて知ったという体たらくなのである。
2011年以降数年は震災に関する様々な情報に触れたし、東北に思いを寄せたこともあった。2013年に彼が入社した時に私は東京支社に在籍していた。もし同じ勤務地ならまだ関心が高い時期だったはずなのでいろいろと自分から話を聞きにいったかもしれない。しかし時が経ち、部署が同じになって彼と会話することは増えてきたというのに、私は震災の話題を彼に向けることはなかった。ここ数年、震災はもう自分自身の中で風化してしまっていたんだと思う。今回それを痛感して物凄く情けなくなった。
「防災ラジオステーション」の一員である私の現在地。防災に関してリスナーの皆さんと同じか、下手をすればもっと意識が低いのかもしれない。今回の企画、そして藤川アナの話を聞いたことでそこを認識することができてよかった。彼がきのうの番組で語った言葉、その底にある壮絶な体験と熱い想いも含めてひとつひとつをしっかりと胸に刻み、行動そして習慣を変えていきたい。まずはそこから始めようと思う。