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愛猫の教え

去年の11月に愛猫が旅立った。
18才だった。

彼女は弱りはじめてからは食事ができなくなった。
次に水も飲まなくなった。
私と主人は手を変え品を変え、
なんとか彼女に食べてもらうことを望んだ。
栄養にはならないが、自宅で皮下点滴を行った。

私は介護しながら毎日考えた。

『彼女はいったいどうしてほしいんだろう』

ドンドン痩せていき、
歩くのにもよろけるようになり、
それでも彼女は立てる間は絶対おトイレに行った。
虚ろな目、
何をみているのだろう。

正直みている私はとても辛かった。
彼女は一日も早く楽になりたいのではないか、、、。

片目もつぶれてしまい、
おトイレにもいけなくなり、
枕元にペットシーツを引いて彼女を見守ることにした。
骨と皮だけになった彼女、
ある日夜中に目を開けると
布団に潜り込んできていた。

『歩けないじゃん、
どうやって来たの?
私が気づかず寝返りうったらつぶれちゃうよ』

驚きと同時に涙が溢れた。

彼女は生きたい、
私たちと一緒にいたいと思っている。

苦しそう、
つらそう、と思うのは
こちらの主観だ。
彼女はただ純粋にひたすら生きようとしている。

ある日の夕方、
彼女は私の腕のなかで旅立った。

ちょっと苦しそうに二三回
むせて?

そして、

身体から魂が抜けた。

私の腕のなかで。

・・・最期までブラッシングされるのが好きだった彼女、
(元気なときの方があんまりしてあげてなかったなぁ。)

魂の抜けた彼女の身体を思いっきり抱きしめ
(弱ってからはしんどそうなのであまり抱っこはできなかった)

それから毛繕いできなくて汚れてしまっていた彼女の身体をひとしきりふき、
丁寧にブラッシングした。

身体は魂の容れ物なのだな、

容れ物が耐えれなくなったから、

『魂が身体から離れたのだ。』

そう深く感じた。

彼女は小さい頃から18年間私のそばにいて、
ろくでもない飼い主と過ごし、
猫らしくいうことを聞かず部屋をボロボロにし、
時には噛みつき時には引っ掻き
時には寄り添い愛らしい姿をたくさんみせてくれ、
ろくでもない飼い主に
自由に振る舞うこと、
愛しさ、
温もりを教えてくれた。

最期に

『身体は魂の容れ物』。


祖母が逝ったときも
父が逝ったときもわからなかったが
彼女が
最期に教えてくれた。

追記
愛猫が弱ってから私はそれまで以上に『愛してるよ』と伝えた。
それは言おうと思って出る感じではなく、自然にあふれでた。
私は彼女たくさん愛を伝えれたにとにとても感謝している。


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