【11】#超AI時代 を生き抜く術。シンギュラリティ以降をサバイブする「正しい選択」とは? #小原課題図書
編集者・長谷川リョーさんに選んでいただいた書籍を読み解いていく #小原課題図書 。読了後に感じた12週目のテーマは「選択」です。では、早速ログしていきます。
『超AI時代の生存戦略/落合陽一』**
続いて、落合陽一著『超AI時代の生存戦略』。同書で学ぶのは、必ずやってくる、想像しえない未来への準備と心構え。
最近ニュースでAI、AIと盛んに耳にするように、人工知能が私たちの生活に身近な存在になってきました。2040年代には人間が生み出したテクノロジーが人間の能力を超えるとも言われ、これまでの生活構造にパラダイムシフトが起きようとしています。
落合氏が研究するのは、このパラダイムシフトが起こった先の時代。ポスト近代についてです。これからやってくるのは、現在人間の仕事として成立している労働の多くが機械に置き換えられ、思考すら人工知能が代替していく時代。本書は、そんな“超AI時代”を生き抜くための一冊です。
「ワーク・ライフ・バランス」はすでに死語
上述したように、人間の労働は機械に置き換えられ、思考は人工知能に置き換えられていきます。また、IoTが飛躍的な速度で加速化し、24時間インターネットが日常のあらゆるものに接続される時代が訪れようとしています。
常に情報とつながった世界において数十年前に提唱され、現在も主流と考えられている「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は死語になります。いつどこにいても働くことができる時代において、生活と仕事の境目は消滅するからです。落合氏は「ワーク“アズ”ライフ」がこれからの時代を生き抜くキーワードだと語ります。
分断されてきた仕事と生活は一体のものとなり、双方を並行させて走らせることが“超AI時代”をサバイブする方法です。そのためには、仕事と生活を切り分けて考える「タイムマネジメント」から、双方を円滑に両立させるための「ストレスマネジメント」へと考え方をシフトしていかなければいけないのだそう。仕事のエネルギーをプライベートの休息で養うのではなく、仕事とプライベートが一体化した「ライフ」からストレスをどれだけ取り除けるかが大切になるということです。
ストレスフリーな生き方を実現する「ブルーオーシャン戦略」
労働を機械に奪われ、思考を人工知能に代替されてしまう時代に、ストレスなく働く(=お金を得る)ためには、機械にも人工知能にも代替されない、かつ人とは違う「ブルーオーシャン」に身を置くことが求められます。
落合さん曰く、今後の時代においてもっともクリエイティブだとされるのは「人工知能を操作する人たち」。常に人工知能の上に立つ人は、人工知能が代替できない領域にいるからです。しかし、もしそうなれないならば、彼らと人工知能がいない領域で仕事を作るしか方法はありません。
人工知能と競争をした場合、人間は勝つことができない。すると人間同士で仕事を奪い合う世界も想像されますが、そこにデータが蓄積されることでいずれ機械に淘汰されます。常に誰もいないブルーオーシャンを探す癖をつけていくことが、“超AI時代”を生き抜く鍵です。
トップ・オブ・トップを目指すべき
これまで、働くことの「安定」を約束するものであった「資格」は最低保障のものにすぎなくなります。要は資格は最低水準を示すものにすぎないため、持っていたところで仕事は人工知能に代替されてしまうのです。
結局のところ、資格はブルーオーシャンに飛び込むツールではなくなります。希少度の高い資格であっても、いずれレッドオーシャンになっていくのは想像に難しくありません。そこにデータが蓄積すればまた人工知能がやってくる。その繰り返し。代替不可能にならなければ、資格は保有する意味がないのです。
落合氏の言葉を借りれば、本当の意味でブルーオーシャンに身を置くためには「トップ・オブ・トップ」にならなければいけません。
そこで重要なのはメディア。今まではマスメディアが主たる主たる情報伝達でしたが、SNSの普及で個人から個人へ、個人がら大衆への情報発信が可能になりました。シンギュラリティ以降の時代は、個人が主体的に優位性をアピールしてかないと仕事を作ることができません。ブロガーが独自のスタイルを主張することでコミュニティを形成し、トップ・オブ・トップになるように、未知の領域に仕事を作ることがブルーオーシャンに身を置く最短の方法になります。
こうある「べき」という幻想を捨てる
30年前は世の中に存在しなかった仕事が今は当たり前に存在していることを考えてみると、盛んに言われている「仕事が人工知能に奪われる」ということも至極当たり前のように感じます。問題といえば問題だけれど、問題じゃないといえば問題でもない。
たった数年、数十年で社会構造はガラリと変わるのだから、常識という常識もあってないようなもの。変化していくスピードもテクノロジーの介入によって加速していくはず。そう考えれば、落合氏が言うように“「べき論」で語らない”ことは非常に重要だと思います。
当たり前がない時代をサバイブするには、当たり前という幻想の先にいないといけない。手垢がついた仕事は代替可能になっていくことは本書ですでに学びました。求められるのは、誰もしたことがない仕事か、特定のコミュニティで価値のある仕事。人々が当たり前だと認識できるような仕事は、すでにきっと手垢まみれ。人間がする必要のない仕事になるはず。これからは、掛け算で自分を形成する意識が必要です。スキル、知識の掛け算によって、小さくてもブルーオーシャンに身を置くこと。これがシンギュラリティ時代の生存方法なのではないかと思いました。
『選択の科学/シーナ・アイエンガー』
シーナ・アイエンガー著『選択の科学』。著者の両親はインドのデリーからの移民で、シーク教徒。彼女は両親が持つ厳格な宗教観を見て育つなか、アメリカの公立学校で「選択」こそアメリカの力であると学びます。大学進学後に「選択」を研究テーマに据え、現在はニューヨークのコロンビア大学でビジネススクールの教授を勤めています。同書は、そんな彼女が導き出した「選択の科学」を綴った一冊です。
「選択する」ことは「将来と向き合う」こと
私たちは日常的に「選択」をします。たとえばその日に食べるモノを選ぶのも選択です。外出する際に着る服を決めることも選択。こうして、毎日何度も、無意識に選択する機会を持ちます。筆者の言葉を借りるなら、人間は「生まれながらに選択するようにできて」います。
上述したことは、「人間は選択によって作られている」と言い換えられます。食べたモノで体は作られるし、着ている服で印象は作られます。こうした小さな選択の積み重ねが、人間を人間たらしめています。
体型がスリムな人は食事制限をする「選択」をしていますし、だらしのない体型の人は食事を制限しない「選択」をしています。要は、選択は理想の自分を形成するための手段です。
仕組みを理解していなければ、選択は左右される
しかしながら「痩せたい」と願いながら甘いものを食べ続ける人がいるように、人間はいつも理想的な選択をできる生き物ではありません。とはいえ、「痩せたい」感情に嘘はない場合がほとんどです。このとき、私たちの頭の中ではどのようなことが起きているのでしょうか?
矛盾を取り払い、常に最善の選択をするには、まず選択の仕組みについて理解する必要があります。
私たちが日常的に用いる選択のほとんどは「自動システム」によってもたらされています。食べるモノも飲むモノも、着る服もその時々の気分によって決めていることがほとんどです。これこそが「人は望みさえすれば、自分の人生を自分で決め、どんなことも成し遂げることができる」はずなのに、そうはなれない原因です。
目を向けなければいけないのは、論理性を伴う「熟慮システム」。痩せたいと願う人が「また食べちゃった…」という一生改善することのない間違った選択を避けるためには、圧倒的に強い瞬間の選択「自動システム」に勝つための仕組みを構築する必要があります。
選択の繰り返しだけでは選択する技術が向上することはありません。ケースに学び、正しい選択をするためのプロセスをストックしていかなければ、最善の選択をすることは不可能です。
常に合理的な選択をし続けるために
「痩せたいのに食べてしまう」は選択の不合理性を示した例ですが、誰しも同じような経験があると思います。勉強しなければいけないのにテレビを観てしまったり、明日は早いのに夜更かしをしてしまったり。人間である以上避けられないことではありますが、上述したように、選択は理想の自分を形成するための手段であり、選択の積み重ねが個人を個人たらしめています。可能な限り合理的な判断ができるに越したことはありません。
ただ、「痩せたい」と思いながらも、目の前にある甘いものを「我慢する」のは苦痛です。合理的な選択とは少なからず痛みを伴います。そだけを聞いたら憂鬱になりそうですが、憂鬱を打破するには、なぜ人間が選択するのかに立ち返ればいいのではないでしょうか。
僕は「生きること=ゴールに向かって進むこと」だと思っています。ゴールにたどり着きたいがために生きています。最終地点ではないにしろ、20歳のゴールがあり、30歳のゴールがあるからこそ生きる活力が見出せると思っています。ゴールにたどり着くには自分にとって必要なことを取捨選択することが不可欠なので、つまるところ「選択=生きること」です。
そう考えれば、選択することは非常に幸せな行為です。理論上、常に正しい選択をするだけで理想のゴールにたどり着くことができます。つまり非常に合理的な選択基準を持つことが理想的な自分になるための大前提であり、その判断をし続けることがが理想的な自分になるための唯一の方法なのではないでしょうか。
『正しく決める力/三谷宏治』**
3冊目は、経営コンサルタント・三谷宏治による『正しく決める力』。『選択の科学』では「選択」とはそもそもどのような行為であるのかを知り、同書では正しく選択するためのノウハウを学びました。
毎日が選択の連続であること、正しい選択をすることは非常に困難なことは上述した通り。同書が教えてくれるのは、正しく選択するためのフレームワークです。
「一番大事なこと」から考える
筆者が言うには、人間が正しい選択(判断)をするには、まず「一番大事なこと」に目を向け、そこからアクションを考える必要があるそうです。簡単に以下に解説します。
問題解決をするときに大切なのは、他者に勝つことではなくて自分に必要な最善解を見つけることです。就職活動を例にとってみましょう。
大学4年生で、現在就職活動の最中にいると想像してください。まずすべきは、何を基準に企業を選ぶか、もしくは就職しないかを決めること。「一番大事なこと」を考えることです。
企業を選ぶ、もしくは就職せずに大学に残るか、それを判断するための基準を考えます。今回は、「短期間で自分が鍛えられる場所へ進みたい」と思っていることにします。
「一番大事なこと」から3段階で考える
次にやるべきは、1大戦略2中目標3手段の3段階で考えること。
選択肢は大きく2つ。就職か大学院進学です。就職する場合は裁量権を持って働けるベンチャー企業か、安定して働ける大企業。大学院進学の場合は民間就職につながる研究室か、公的研究機関につながる研究室。選択肢は4つになった。どれも魅力的な選択肢であると思ってください。
このとき、給料や働きがいも一見同じように想像される場合、魅力度はほぼ並列で簡単に選択することはできません。最善の判断を下すのが難しい場合、まず最初にすべきは「自分に必要な最善解を見つけること」です。目的であった最重要項目「自分が鍛えられる場所」から考えましょう。
この場合、一番大事なことに即して考えれば、妥当なのは少なくとも就職することになります。1大戦略は「就職」です。
続けて、2中目標。就職することが西洋への近道だと判断した上で、今度は「短期間で」に注目してください。ベンチャー企業と大企業、どちらがいいでしょうか。どちらも成長できる可能性がありますが、(一般的に)大企業の場合は短期間で圧倒的な成長をするという概念はありません。ベンチャー企業の場合、大企業に比べて早くから裁量権を持ってガシガシ働ける可能性が高くなります。一番大事なことにのっとれば、ここで「ベンチャー企業への就職」を選ぶことになります。
最後に、3手段。ここは例には出していませんが、具体的な業種や企業を選ぶフェーズになります。仮に人数が3人しかいない企業と、優秀な人材が複数人入ってきている企業の2択に絞られている場合。効率よく成長するならば、上司からの“ご指導ご鞭撻”がある方が良さそう。
結果的にもたらされる選択は「優秀な上司がいるベンチャー企業への就職」になります。ややざっくりしていますが、簡単に言えばこれが正しく選択するための思考プロセスです。
選択はトレード・オフ
「選択には痛みを伴う」ことは『選択の科学』で学びました。何かを得るには何かを捨てる必要があります。トレード・オフの関係です。しかし、トレード・オフが成立する前に「中心的な価値を見出す必要がある」ことは覚えておかなければなりません。
何を得るために何を捨てるのかがわかっていなければ、得ることが一つもないからです。本当に重要な「一番大事なこと」がなんなのかを考え、該当しないものには「No」を突きつける。この判断が、正しい選択をするための手段です。
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目まぐるしく変化していく時代を生きていくには、未来を予測して最善の選択を下していくことが求められます。そのためには、未来がどのようなものであるのかをキャッチアップすることと選択するための技術を持つことが必須。
「今日より明日が新しいことで溢れているなら、今日より明日は新しい自分でいなければいけない。そうでなければ、どんどん過去の人間になってコモディティ化されてしまう」そんなメッセージを感じる選書でした。