【8】仕事も、人間関係も、全ては自己を知ることから始まる #小原課題図書
やや間隔が空いてしまいましたが、今年24冊目を読了。前回のまとめに「これからは楽しむだけの読書から少しづつレベルが上がっていくのではないかと思っています。今週はややライトではありましたが、読書によって自己形成をしていくことの前触れとして受け取っています」と書きましたが、これからというより、そもそも読書という行為自体が自己形成をするためにあるように思います。
僕は、読書をしている最中にずっと「自分ならどうだろう?」と無意識に考えています。今はどういう環境にいるのか、自分には同じことができるだろうか、自分はどうしてこんなに浅はかなんだろう…。そんな具合です。
その行為そのものが読書の真髄なのかもしれない。8週目の3冊は、そんなことを強く感じるものでした。
今週のメッセージは「自分を遠くからみる」。では、早速ログしていきます。
『抜擢される人の人脈力』/岡島悦子
#小原課題図書 の第8週目。1冊目は株式会社プロノバ代表取締役社長・岡島悦子著『抜擢される人の人脈力』です。
プロノバは人材紹介を行う会社。岡島さんはベンチャー企業・再生中の企業を中心に年間約100名の「経営のプロ」を紹介する、いわば“ヘッドハンター” です。本書では、ハーバード大学に留学していた経験から現在の事業を行うなかで見つけた「抜擢される人の法則」を著しています。
「人脈」と聞くと、無意識に毛嫌いしてしまう人がいるかもしれません。時に“意識高い系”を象徴する言葉としても扱われるため、本来の意味を理解していない人にしてみればあまり聞き心地が良くないのはわかります。
ただ、本書によると「人脈は、経済的成功や社会的成功を手に入れるために構築するのではなく、楽しく仕事をし、自分らしくイキイキと生きるために構築するもの」なんだそう。如何にして本質的な人脈を手に入れるのか、著者の言葉を借りながらしながら解説していきます。
活躍する人とそうでない人の違いは「抜擢」
「人脈」を毛嫌いする人の多くは、おそらく名刺をたくさん持って「この人と知り合いだ」と本質的に無意味なつながりでマウントを取りたがる人が近くにいるのではないでしょうか。一度だけ会ったことがある著名人の名前を引き合いに出し、自分があたかも何者かであるような態度を取る人を思い出させるために嫌な言葉としてイメージされているのだと思います。
しかし、本質的な人脈は非常に有意義な人生を送るためのカギとなります。なぜなら、活躍できる人には「人脈」があるからです。本書によると、活躍できる人の共通点は抜擢される機会が多いということ。折に触れて名前を思い出してくれる人、頼ってくれる人、活躍の場を見出してくれる人が周りに多くいるのです。
活躍の機会を得て、そこで結果を出す。この繰り返しが成功を生む鉄則です。結果を出し続けることで見出される回数が増え、次第に見出す人(人脈)のレベルが上がります。逆に言えば、戦略的に人脈を作ることは自分の成功をつかむための手段。筆者はこの流れを「人脈スパイラル・モデル」と定義し、それには方法があると語ります。
まず最初にやることは「自分にタグをつける」こと。自分には何ができて、何がしたくて…。機会を得るための訴求ポイントを自分につけることで、相手に関心を持ってもらえるようにします。
次に「コンテンツを作る」。付けたタグに客観性を持たせるためのコンテンツを用意します。たとえば僕は純喫茶店が好きなので、「純喫茶が好きな平成生まれのライター」とタグを付けたとしましょう。純喫茶と若い世代だというのはそれほどユニークではありませんが、ひょっとすると興味を持ってもらえるかも。もしそこで認知してもらえた時に「年間XX店舗の純喫茶に訪れている」「過去に何度か取材経験がある」というコンテンツがあればタグに説得力が出ます。ちなみに今の自分はここを頑張らないといけないと思っています。(少ないですが、一応ポートフォリオです。お仕事お待ちしております。笑)
続いて、「仲間を広げる」。作ったコンテンツを仲間とともに見合うことで切磋琢磨。自分のタグやコンテンツを客観視してもらい、通用するか否かをチェックします。お互いの持つ人脈を共有しあえる仲間を作ることで、抜擢の機会も格段の増えるのだそう。
4つ目は「自分情報を流通させる」。作ったタグやコンテンツを情報として発信し、自分を見つけてもらいます。相手の脳内に自分の存在を叩きつけて、折に触れて自分を思い出してもらえるようにするのです。「自分はXXの人」「XXに興味がある」ということは常々意識しておかないと非常にふわっとした印象になってしまうので、「自分にタグをつける」と紐付けてやるのが良さそうですね。
最後に「チャンスを積極的に取りにいく」。ここまでの過程をしっかり続けていると、思わぬ場所から抜擢の機会を得ることがあるのだそう。そこで実力以上の価値を発揮すれば、その評価が自分につきます。すると今度はそれを見た別の人から声がかかるかもしれない。これを繰り返すことが人脈を作り、自分をより高いレベルへと引き上げることになります。
つまり、人脈を構築できているときは自分のレベルが上がっていることになりそう。むしろ人の数だけが増えていたら要注意かもしれません。個人のレベルが上がっていないのに母数だけが一人歩きしていたら、それはただ「知り合い」が増えたことに満足している可能性があります。
人脈スパイラル・モデルの先にある「自由」
人脈レイヤーを上げ続けた先にあるのは「仕事を選べる自由」です。先に述べたように、人脈が豊かな人間はそれだけ成果をあげています。成果を上げる実力と、それを評価する人たちがいれば仕事を選べるようになるというのは納得がいきますね。
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最近は「自由な働き方」が持て囃されています。SNS等で「フリーランス」という言葉を見かけない日はありません。それくらいに誰もがそうした働き方を望んでいる証拠だと思いますが、本当の意味で自由を手に入れるのは非常にしんどい過程をくぐり抜ける必要があると思います。事実、本書で紹介されている「人脈スパイラル・モデル」は努力をしてでもチャンスを手にして成長したい人向けのテクニックです。
実力がないうちから作品を公開するのには勇気がいるし、作品をけなされるかもしれないし、自分を売り込む営業もなかなか苦労するもの。ただ、そうやって積み重ねていかないと人脈は構築できません。このプロセスに飛び込んでいけるか、そしてその苦しいプロセスをしっかり泳いでいけるか、そこで結果を残せるのか…。想像すると末恐ろしい道のりですが、それくらいに負荷をかけないと抜擢される日はやってこないのです。
僕は今、抜擢を待つ過程にいます。具体的には「コンテンツを作る」ところ。師匠がそれをサポートくれていますが、そろそろ自分でも歩く準備をし始めなければいけないと思っています。
この辺が僕に今求められている具体的なアクションでしょう。…ということで、今月から実践していきます。
『コミュニケーション力』/齋藤孝
第7回に引き続き、明治大学教授・齋藤孝先生著『コミュニケーション力』。“言葉のプロ”とも呼ばれる齋藤先生が言うには、コミュニケーション力とは意味と感情、双方をやり取りする力です。
友人との会話の中で「コミュ力」という言葉が聞かれるようになりましたが、多分その「コミュ力」は「女子高生の会話」ゾーンを指しています。会話と会話の間の空白を埋めるような饒舌さを持ち合わせた人が「コミュ力が高い」などど言われますが、それではまだまだ足りない。理論的に物事を伝えることができ、なおかつそこに感情の起伏をのせられる力が「コミュニケーション力」です。
コミュニケーション力は相手との対話で生まれるものに思われがちですが、著者によると「自分と対話すること」もコミュ力の一つなんだそう。すぐに言語化できるような言葉のキャッチボールには深みがなく、自分の奥底にある感情を言葉に翻訳しながら対話することが本来の「コミュ力」であるといいます。
コミュニケーション=自分との対話
「自分との対話」の最たる行為が「文章を書く」こと。心の深いところにある暗黙知は言葉にするのが難しい。人によってはそれがとても悲しい経験に紐付いていることもあるので、猛烈に苦しいかもしれません。ただ、言葉に直して初めて感情が形になります。
たしかに僕もなかなか言葉にできない感情があります。そっとしまっておきたいことの一つや二つ、誰にだってあるはずです。けれど、その翻訳作業が他者とのコミュニケーションを円滑にするのだそう。感情の縁をなぞるような会話をやめて、お互いが自分の言葉を必死に探したときに初めて深いコミュニケーションが成立するのです。
コミュニケーションの基盤が整い、技術を会得すると相手との差異を楽しんだり、相手に合わせた対話が可能になります。著者の言葉を借りるなら…
コミュニケーションが上手な人は、相手に合わせて話すのがうまい。口を閉じて沈黙することもあれば、切れ目なく言葉を発したり、言葉ではなく身振り手振りで感情を伝えることもあります。これは川にどう置き石を置けばいいのか理解しているということ。相手の言葉を引き出し、相手に感情を伝えるためにはそうしたセンスが必要なわけです。
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仕事がら、ライターには石を置くセンスが問われます。他者の言葉を引き出す必要があり、今度はそれを読者に伝えなければいけません。そう考えると、必ずしも対面している場面だけにコミュニケーションが発生するわけではありません。
コミュニケーションと聞けば、相手と会話をするシーンが思い浮かびます。しかし、おそらく会話はコミュニケーションに内包される要素の一つで、コミュニケーションとイコールの関係にあるのは対話です。語彙の数や言い回しの豊富さは二の次で、相手との距離を繊細に感じて、都度ふさわしい振る舞いができることの方が優先なんだと思います。
そして、そのためにはまずは自分のを知ることが大切。自分の立場を理解し、相手がそれをどう感じ取るか推測し、それに応じた行動ができなければ円滑なコミュニケーションは成立しない。ライターという仕事は、相手よりコミュニケーション力に勝っていなければいけないのだと思います。毎回PVを叩き出す記事は、やはり共感性が高かったりする。ライターさんたちは見えない読者との間に濃密なコミュニケーションを作っているに違いない。本当、高度な仕事だ。
『君たちはどう生きるか/吉野源三郎
今週最後の書籍は吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』です。あだ名が「コペル君」という15歳の中学生が主人公で、彼を取り巻く友人や叔父との出来事によって「ものの見方」や「人間関係」などを切り口にストーリーが展開していきます。
コペル君は、日常の出来事を叔父さんに話します。叔父さんはそれをノートにまとめていく。そのノートに書かれていること…つまりコペル君へのメッセージは、読者に対する問いかけでもあります。
冒頭にも書いたように、僕は「自分ならどうだろう?」と考えながら、本のなかで訴えられていることやストーリーを自分に置き換えて読むことが非常に多い。特にこの一冊はその傾向が強かったです。印象深い部分をピックアップしながら、主観を交えてログしていきます。
自分の「正義」を構築する
コペル君には「北見君」という友人がいます。「誰がなんと言おうと…」が口癖で、めったに自分の考えを曲げることがないぶっきらぼうな男の子です。そんな彼が、強い正義感を持っていじめに立ち向かうシーンがあります。
「油揚」とニックネームをつけられ、クラス内の男子からいじめを受けている「浦川君」という子がいました。誰もが見て見ぬふりをしていましたが、北見君はそれに耐えられなくなり、主犯格の男の子に殴りかかります。先生はその理由を問い詰めましたが、それに一切答えようともしない。ただ「いじめを許さない」という彼の正義だけが彼を動かし、それ以外のことには見向きもしませんでした。
そのエピソードを聞いた叔父がノートに書いた言葉がこちら。同調性の高い日本人には、わかっていながらそれができない日本に人には耳が痛い言葉です。
何を与える人間になるのか
「油揚」とニックネームをつけられた浦川君が学校を数日間欠席することがありました。風邪を引いたのかと心配がったコペル君は彼を訪ねます。すると彼は病気ではなく、家業の手伝いをしていました。彼の家は油揚げを売るお店を営んでいます。家庭が貧乏で手伝いをする必要があり、学校に来る暇がなかったのです。
コペル君は、その日に起こった出来事を叔父さんに伝えました。豆腐を揚げる技術に感心した話や自分も機械に触った話など内容は多岐にわたりますが、最後に問いかけられたのは「貧乏な人とそうでない人の違い」。
叔父さんは、「浦川君の家は貧乏だが、浦川君が貧乏な人ではない」と言います。浦川君の家では従業員を雇い、彼らに金銭を与えている。また作った油揚げを消費者に届けている。その点でいえば、消費するだけのコペル君よりも幾分立派だろうと。ただ、中学生という年のコペル君が何かを生産する立場になるのも難しいことで、それを攻めているわけでもないのです。また、コペル君は日々気づかないうちに何かを生産しているということをノートに記しています。それが一体なんなのか考えて欲しい、という問いをコペル君に与えたのでした。
君たちはどう生きていくか
最終章で、コペル君からこの問いに対する答えがノートに書かれます。
僕には、叔父さんの問いに対して明確に回答していないのが重要に感じられます。「それに役立つような人間になりたい」…つまり「何を生み出すか」という一つの事柄ではなく、生き方の指針を答えとして導いているところにこの本の妙があるのではないでしょうか。
要するに、人生に答えはないにしろ、指針を持って生きていかなくてはいけない。自分が持つ正義を構築して、それに反することはしてはいけない。信じることに邁進していかなくてはいけない。「すべての人が頑張る必要はないのかもしれないけど、すべての人が自分の人生を歩むべきだ」というメッセージに感じられます。
内容の多くを割愛しましたが、印象的だった言葉の多くに同じようなメッセージを感じます。
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なんども繰り返し読んでいた本の一つに『アルケミスト-夢を旅した少年』があります。4年前に購入して、かれこれ10回ほど通読しました。読むたびに目が付くところが変わって興味深く、過去に引いたマーキングをみて当時の心境を思い出したりしていました。
『君たちはどう生きるか』も『アルケミスト』と同じように、主人公の身の回りに起こる出来事を自分に置き換えて読む本だと思います。きっと数ヶ月後に読んだらまた違った印象を持つはず。
とりあえず、今現在僕が読み終えたところで感じることは以下の2つ。
…主人公は中学生ですが、恥ずかしながら今年で23になる僕も同じような境遇だと思っています。がむしゃらに何かに手をつけては辞めて、何も手にせずだらだらと20数年を過ごしてきました。ただ培った経験が今の糧になっているのは間違いのないこと。それらを見つめ直し、今自分はどういう境遇にいて、向こう数年間でどうなっていたいのか、そしてそのために何をすべきなのかを考える必要があります。
…日々思うことはたくさんあるけれど、それを心に留めることなく過ごしていたら「感じただけ」で終わってしまう。感じたことを書き出し、なぜそうだったのか、これからどうするのか…明日の自分が今日の自分よりも成長できるように毎日を過ごさないといけない。そうじゃないと、生きてる意味がないような気がしました。
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今週の3冊は、特に自分を見つめる機会が多かった。と、同時に今までの21冊の本も究極的には同じく自分を見つめるためにあったようにも思える。
相手との対話も、仕事のやり取りも、何もかも自分を知るところからスタートしているんじゃないか?自分を理解していなければ、相手を理解することはできないんじゃないか?
そんなことを考えながら、今このまとめを書いています。来週は『海辺のカフカ』。内容は全くわからないけれど、疑問の答えが見つかる気がする。