【17】何を考えたらいいのか、について考える #小原課題図書
今週の3冊は、「考えることを考える」ことがテーマでしょうか。読みながらこれまでの過去を振り返ったり、現状を見つめ直したり、未来にワクワクしたり…感情がうねうねと動くものだから、整理するのに戸惑った。
『日本辺境論』/内田樹
そう語るのは、『日本辺境論』(内田樹著、新潮社)の著者、内田樹氏。内田氏は本書を通じて「日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」と訴えます。また、私たち日本人がどのような思考や行動上の“民族詩的奇習”を持ち、「それが私たちの眼に映じる世界像にどのようなバイアスをかけているか」を、朝起きたら歯を磨くのと同じように確認することが必要だとも述べています。
世界各国に自国の文化論を記した本は数多くありますが、日本ほど、なんども「日本論」にまつわる本が出版されるケースは少ない。内田氏は、その原因を「先人が肺腑から絞り出すようにして語った言葉を私たちが十分に内面化することなく、伝統として受け継ぐこともなく、ほとんど忘れ去ってしまって今日に至っている」からだと指摘。
「日本人とは何者か」という大きな問いに答えることのできない、思考停止に陥りつつある私たちは「辺境人」。世界の中央から遠く離れた辺境の国、日本の住人です。この問いに答えるべく、内田氏の言葉、見解を借りながら本書の内容をまとめます。
辺境人は「きょろきょろ」する
私たち日本は、「われわれはこういう国だ」という名乗りから始まった国民ではありません。というのも国を象徴するシンボル、日の丸は、「日出づる処」の図象的表現です。「あるところから見て東方に位置するところ」ということであり、その「あるところ」は中国にあたります。「中国から見て東にある国」だということを意味しているのです。
国の成り立ちは、国名や国旗が指名しています。一方で、アメリカはその逆。オバマ大統領の大統領演説に代表されるように、アメリカ人は自らの国を「われわれじゃこういう国だ」と論じるところから語ります。
しかし日本人は、「自分たちがどんな国民なんだかよく知らない」。かつて国歌を斉唱しない人間を「日本から出ていけ」と激怒した政治家がいました。とはいえ、なぜ国歌を斉唱しなければいけないのか、そもそも国家はなぜ必要なのか、という根本的な問いに立ち返ることはありません。
そのため「日本人らしさって何だろう?」「日本ってどんな国だろう?」と、日本人はすごく「きょろきょろ」している。日本に住む当人たちが自国の文化を語れず、他国との距離感で自らを定義し、YesともNoとも取れない行動をする。これが、日本人の国民性なのです。
とはいえ、そうした国民性を否定しているのではありません。世界のスタンダードに合わせて標準化するのではなく、稀有な国家観を貫くという提案をしています。
日本文化には、原点や祖型がありません。そのため、日本文化とは何かを追い求める問いを、エンドレスに繰り返します。結局たどり着けない問いですが、その問いを追い求め続けることこそが「日本論」。それを怠ることこそが、自国らしさを失うことなのです。
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「考えることを考える」というフレーズをよく最近耳にします。何を考えなくてはいけないのかを考えることが重要で、そこに結論を見出すことがゴールではありません。
「日本辺境論」は、それに近い考え方のように感じます。思考停止を避けるためには、たとえ「日本らしさ」がないものだとしても、それを追い求める思考そのものに意味がある。日常生活にも置き換えられるのではないかと思いました。
『嫌われる勇気』/岸見一郎・古賀史健
フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称されたアドラーの思想を凝縮した一冊。著者は哲学者岸見一郎氏とブックライターの古賀史健氏。登場人物は「世界には幸せなど存在しない」と考える悲観的な青年と、「世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる」と語る哲人の二人。対話形式でアドラーの思想を紐解いています。
行動にトラウマなど存在しない
アドラー心理学はトラウマを否定します。現在の行動が、過去の経験によって規定されることはないと考えるのです。本書の物語を例に挙げると、過去両親に虐待を受けて育った人物がそのトラウマゆえに外出を恐れ、引きこもりになってしまったケース。しかしこれは、過去の経験ゆえに引きこもりになったのではなく、外に出たくないから不安を生み出していると考えます。
「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する」、つまり、引きこもることによって、両親の注目を集めようとしていることになるのです。
全ての悩みの原因は「対人関係」にある
アドラーは「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」のだと言いました。例を挙げれば、容姿の悩みも、引きこもってしまうことも、世の中に自分ひとりしかいなければ起こりえなかった。他者の存在があるからこそ生まれるのです。
また、他者に認められたいと願うからこそ忖度したり、はたまた最終的に相手を傷つけてしまったり。他者の期待を満たそうとすることで、人は不幸になります。
他者との人間関係にまつわる悩みを断ち切るには「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけ。「お前の顔を気にしているのはお前だけ」であることを知り、他者からの見え方と自分に対する見方を分離する。これが、対人関係の悩み、つまり人生における悩みを解決する方法になるのです。
普通であることの勇気
誰かにとって〜な存在でありたいという、特別になろうとする行為自体が、実はその人の不幸につながる。重要なのは「普通であることの勇気」であり、幸せになる原点。「幸せになる勇気」は自分を他でもない唯一無二の存在と捉え、他者との競争を辞めることから始まるのです。
『圏外編集者』/都築響一
『圏外編集者』(都築響一著、朝日出版社)はマガジンハウスの人気雑誌『BRUTUS』の黎明期に携わりながら、あえて出版社に属さず、還暦までフリーランスの編集者として活動してきた都築響一氏似よる聞き書き形式の一冊。
都築氏は、過去にノウハウを提供する本の執筆を依頼された経験が何度かあるそう。しかし、その全てを断ってきたのです。なぜなら、「ノウハウなんて存在しないから」。本書では、原稿の書き方から取材の方法、写真の撮り方、雑誌作り・本作りをゼロから独学で創り上げた都築氏が自身の編集キャリアを振り返ります。
ここ数年「編集者」を名乗る人が激増しましたが、編集者の在り方、仕事の仕方は一様ではないからこそ、今一度「編集とはなんなのか」を自身で定義すべきです。
具体的なノウハウに習うのも大切なことですが、都築氏の刺激的な編集キャリアからは、自分のアタマで考えオリジナルの編集論を構築する機会が得られます。
「食べログ」でお店を探す食通はいない
編集者(もしくはライター)の腕が問われる「企画出し」。雑誌やメディアの方向性、先見性、話題性をつくる上で、企画の良し悪しは売り上げやPVに大きく影響します。「企画が出せるライターは強い」とよく言われるように、編集者視点での企画出しができるかどうかで、ライターの価値が変わってくるほど。
しかし、企画出しはとても難しい。企画出しに、これといったフォーマットは存在せず、企画の良し悪しは属人的になってしまうからです。都築氏は、取材先で食事をする際に「食べログ」でお店を探す人を信用しないと語っています。他人の評価で良し悪しを判断すること自体ナンセンスであり、それでは一生嗅覚が育たないのだそうです。
「情報」は足で稼ぎ、「視点」は経験で養う
都築氏は、小さい部屋にごちゃごちゃと気持ち良く暮らしている人間たちを切り取った『TOKYO STYLE』や、名もない田舎を特集した『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』など、いわばアウトローな連載・雑誌を出版した人物。『TOKYO STYLE』には、こんな文章が書かれています。
たしかに、私たちが手に取る雑誌に出てくる住宅情報には「ワンランク上」「上質」「丁寧な暮らし」なんて、幻想のような言葉が浮かぶ。しかし、そんな幻想に生きる人たちはごくごくわずかだ。マスコミが特集する極少数ではなく大多数を切り取ることで、逆張りすることで、都築氏にしかできない仕事をつくっているのです。
最近よく「自分らしい働き方」「自分にしかできない仕事」なんてフレーズを耳にします。AIによる仕事の自動化で、今ある仕事がなくなってしまうことへの懸念から生まれた考え方です。こうした状況をキングコング西野さんは、『西野亮廣が考える、これからの働き方【インタビュー前編】』にて以下のように語っていました。
都築氏は、自分にしかできない仕事をつくる方法を、以下のように紹介。
ちょっと泥臭いように聞こえるかもしれませんが、本質的だと思います。マスコミから垂れ流される情報に惑わされず、自分の価値基準で物事を選ぶ。選んだことは自分の足で確かめ、情報を得て、オリジナルになる。オリジナルを磨くために経験を積み重ねる…。この繰り返しこそが「編集視点」を学ぶことに他ならず、唯一無二の個性を生むのではないでしょうか。
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同書のなかでもっとも心に刺さったのが、「本当にすごいものは、ぬるま湯から生まれないから」という都築氏の発言。西野さんのインタビューにも通じますが、好きなことでなければ、“ぬるま湯”程度で終わってしまうことが往々にしてあります。それならば、本気で心血を注げることを定めるべき。
都築氏のキャリアは王道といえるものではありません。「体力と収入は低下する一方」だそうですが、それでも「毎月の振込よりも、毎日のドキドキの方が大切だから」と語っています。
むちゃくちゃかっこいいですよね。最近noteにもポストしたように、「企画出し」「編集者視点の醸成」が自分のなかで喫緊の課題でしたが、その尻尾が見えたような気がします。