【13】ポスト近代のメディアを創造するために、メディアの歴史を振り返る。『メディア文化論』レポ #小原課題図書
第13回 #小原課題図書 、『魔法の世紀』『人工知能は人間を超えるのか』に引き続き『メディア文化論』のレポです。
本書は東京大学大学院の吉見俊哉教授が「メディアを理解するために」記した一冊。メディアと社会の関わりに焦点を当て、理論と歴史からアプローチしています。
メディアの歴史を知り、今後のメディアのあり方を考えることは、現在この業界に足を置く一人として必須でしょう。ページ数以上に内容はボリューミーですので、かいつまんで簡潔にレポします。
『メディア文化論/吉見俊哉』
著者の吉見教授が本書の中で「メディアの定義は歴史の中で繰り返し変化してきました」と語るように、時代の変遷と共に、メディアは作られた目的とは違う用途に再構成され、都度時代の文脈に求められる姿へと形を変えてきました。
今日の主要なメディアとして知られる新聞やテレビも、誕生当初から存在意義が変わりつつあります。まずはこの歴史を振り返りつつ、当時のメディアに対するアプローチを整理してみます。
日本のメディア研究の出発点は「新聞」
日本における「メディア研究」の原点は、1910年代から急速に普及した新聞です。民主化されたことでマス・ジャーナリズムが誕生し、新聞に焦点を当てた調査や研究、知的な関心(新聞学)が広がっていきました。
1910年代における新聞は実用的な知識の集成として捉えられていましたが、1920年代〜1930年代にかけて解釈が変化していきます。代表的な解釈は「歴史主義」と「機能主義」です。
歴史主義では、新聞学が「日本の文化的伝統に根ざした新聞の本質は何かを明らかにする」ことが使命だとされ、機能主義では「新聞に媒介される集合心理や世論を捉える」ことが新聞学の本質だとされました。結論、機能主義がより強く支持され、今日における新聞の基礎を作ることに。
そしてもう一つ、代表的な二つの解釈の他に代表的なものとして「批判論的なアプローチ」が登場します。これは「新聞とは対立するものの意識」であるとするアプローチ。本文の言葉を借りてこのことを解説すると「大臣が収賄をしたということが『新聞』となるのは、その事実を持つ群と、それを反発する群との対立関係が生ずるから」ということになります。新聞が単なる情報の送り手と受け手を媒介する手段ではなく、議論を生むものだと考え、コミュニケーションを生み出す装置として捉える考え方です。
この当時、新聞以外にも現在のマス・メディアである雑誌や映画、ラジオなどが誕生しています。新聞学の解釈の変化は、新聞に限らず当時発展途中であった諸メディアが社会的関心を得た大きな要因になりました。
電子メディアの登場-地理的空間を超え、つながる時代
1960年代になると、電子メディアが発達し始めます。代表例はテレビであり、1960年から急速に普及しはじめました。どこにいても同じ情報が共有できる世界は「場所感覚の喪失」をもたらし、単なる情報媒介のメディアは身体が世界に関わる仕方を構造化する制度へと姿を変えます。
また、かつては自宅の中にあった電話が携帯電話に変化し、「脱場所化」は急速に進行。今日ではスマートフォンがあればテレビ番組を見ることも可能になり、社会的な時間の同期性を薄めていきました。
活字中心だったメディアは、記号中心のメディアへと軸足を移し、2000年代に近づくとインターネットが急激に普及。「脱場所化」「非同期化」がますます加速し、情報共有・コミュニケーションの方法にパラダイムシフトが起ころうとしています。
こうした世界を「ポスト近代」というそうですが、筆者曰く「この『ポスト』の中身はまだ明らかになっていないのです」。
活字のメディアも、映像のメディアも、これまでとは大きく形を変えていく可能性がある。しかしながら、どのようなメディアが創造されていくのか、それによってどのようなコミュニケーションが生まれるのかは誰にも分からないそう。
21世紀は魔法の世紀
著者によると、過去のメディアの変遷を振り返ったところで、今後起きる変化は予測できないとのことですが、同じく第13回 #小原課題図書 で紹介した落合陽一著『魔法の世紀』にそのヒントがあるかもしれません。