Z世代とカニカマに見るアフターコロナ
テクノロジーの恩恵を一身に受け、「リープフロッグ(leapfrog:蛙飛び)」が可能なZ世代。リアルに比重がある上の世代とサイバーに比重があるZ世代がアフターコロナを共創するヒントをカニとカニカマで考えてみた。
上記の日経記事のなかで米国のZ世代が「2019年に最も関心が増したブランド」のランキング(米モーニング・コンサルト)が紹介されている。ドアダッシュなどの新興企業に紛れ、日本のソニーがランクインしていることが記事では取り上げられていた。
個人的にはデリバリーサービスやゲーム開発の企業に紛れ、ナショナルジオグラフィック(通称、ナショジオ)の名前があることに目が向いた。同名の雑誌は米国では1880年代、日本では1990年代から発売されている。
同誌の扱う対象は幅広い。これまで文明、歴史、文化、地理、人類、自然・環境、科学などの題材を印象的な写真とともに取り上げてきた。最近ではYoutubeで動画も公開されている。
ナショジオの名前を見て頭に浮かんだのがグレタ・トゥーンベリさんである。彼女もZ世代に当たる。
上記の記事ではY世代とZ世代に関する2019年の調査結果(デロイトトーマツグループ)も掲載されている。
調査で「差し迫った課題は誰を中心に解決すべきと思うか」という質問に対し、Z世代は「政府」や「企業」を押さえ、「研究機関」をトップに選んでいる。一方、「人生の目標は」との質問に対し、Z世代は「世界を旅する」ことよりも「家庭・子供を持つ」「自宅を購入」することを選んでいる。「高収入を得る」という回答も上位にあるが、これは「自宅を購入」し、「家庭・子供を持つ」生活のための手段に見える。
Z世代のこれらの調査結果を見ると、一見、内向きにも見えるが、インターネットというサイバー空間を経由して彼らは外の世界も見ているように思われる。環境問題を始め、広く社会の問題、世界の問題に関心を持っているZ世代の様子がナショジオへの関心から垣間見える気がする。
Z世代にとっては、インターネットも、スマホに代表されるデジタル機器も当たり前のものである。彼らはデジタル・ネイティブなので、彼らより上の世代が向き合っているDX(デジタル・トランスフォーメーション)なんてピンとこないだろう。彼らはデジタルでトランスフォームする対象を持たないのだから。
むしろ、コミュニケーション、人間関係にみられるように、Z世代ではデジタル世界、サイバー空間からリアルな世界へ向かうことの方がハードルが高いと感じる人もあるだろう。
これに対し、リアル世界が長く、デジタル、サイバーへのシフトが徐々に進んできた上の世代はリアルからデジタル、サイバーへ向かうハードルが高い。
両者の違いは「当たり前」や「無意識にある前提」の違いである。
サイバーからリアル、リアルからサイバーという異なる両者のアプローチの中にアフターコロナのヒントがあるのではないだろうか?
同日の日経・文化欄に2011年、東日本大震災のときのホンダの広告が取り上げられている。とても印象的な広告だったので記憶にある人も多いと思う。
震災で東北の多くの道路が走行不能になり、救援物資の運搬に事欠くなか、リアルの走行データをリアルタイムにマッピングして公表、被災者の救済に役立ったとクリエイティブ・ディレクターの杉山恒太郎氏が紹介している。
2011年はまだ3G、スマホの世帯保有率は3割に満たなかった。
今はスマホは当たり前。5G、多様なウェラブル機器、IoT、AIと、ネットワークもハードもソフトも進化するなかでリアルとサイバーの融合が進む。
同じ文化欄に、コロナで中止になった演劇祭をオンライン配信した演出家の宮城聡氏の記事がある。
このなかで、宮城さんはリアルの演劇祭を「カニ(蟹)」、オンラインのサイバー上で展開された演劇祭を「カニカマボコ(蟹蒲鉾)」に例えている。この例えは妙である。
諸説あるが、カニカマボコ(通称、カニカマ)は日本の水産加工会社が1970年代に製造を始め、今では日本に限らず欧米でも好んで食されている。カニカマは本物のカニではないが、手頃な価格で、手軽にたんぱく質を摂取でき、色合いも良いことから世界のあちこちでいろんな料理に使われている。
当初、カニもどき、カニの模倣品のように位置づけられていたカニカマは新たな人の、新たな需要を創造し、新たな料理を創作する機会をもたらした。
リアルとサイバーにも同じことが言えるのではないか?
カニを先に食べたことのある人のなかには、カニカマをカニもどきとしてカニより下に見ている人がまだあるかもしれない。しかし、カニを食べる前にカニカマを先に食べた人にとってはカニカマはカニもどきではないだろう。
カニカマをカニより下に見る感覚ではZ世代とコロナ後をつくることはできないのではないか。Z世代は極めてフラットな関係性を好むと思うからである。
カニもカニカマもどちらが上か下かではないだろう。もはや別物である。
カニはカニとして、カニカマはカニカマとしてオリジナルな素材として単品で食されることもあれば、他の食材と共に新たな料理を創作することにも使われる。カニカマの方がむしろ創作の対象は広いかもしれない。
カニ(リアル)からのアプローチ、カニカマ(サイバー)からのアプローチ、料理(サービス、事業の創造)はどちらのアプローチからも創作できる。
内と外、Z世代とそれ以外、アナログとデジタル、リアルとサイバー、自分と他者、日本と世界、諸々の垣根を超えて水平に繋がる融合のなかで、本質的なものが意識と無意識の間で水平的に創出され、支持されるのかもしれない。