一番楽しかった時期
こんにちは。創作者兼にわかドッターの尾羽つばさです。
小学校ではいじめられたり、中学に入っても祖母の洗脳が続いたり、大学で脳内に「怖い人」がいることを自覚して病み始めたりと散々な人生でしたが、唯一楽しかった時期がありました。
そう、高校時代です。
中三の頃の担任の先生から薦められたのと、祖母の「処女を守り抜け」という言いつけを守るため、女子高に進学した私は、その学校のある部活に入部しました。
それは、合唱部でした。
もともと、音楽、特に歌うことは好きだった私。
父がウィンナ・ワルツとオペレッタが好きで、母が音大出身で声楽をやっていたこともあり、2歳で既にビゼーのオペラ『カルメン』を観せられるなどの英才教育(?)を受けていました。
2歳児にそんなドロドロしたの観せるなよと、今なら突っ込まれそうですが、私は3歳くらいで「ハバネラ」を口ずさんでいたそうです(もちろんフランス語はわからないのでハナモゲラ語だったそうですが)。
当時の父は「幼児にしては音程が合っているなあ」と思っていたそうです。
部活紹介のパンフレットを最初に見た時は「合唱部」の文字は無かったので、
「この高校に合唱部はないんだ」
と思っていたのですが、よくよく読むと
「歌が好きな人は是非うちにどうぞ!」
と書かれていたので、
「まさか!」
と思ってその部活の部室に行ったら、そこが事実上の合唱部でした。
うちの高校ではちょっと変わった名前の合唱部だったんです。
うちの合唱部はかなりゆるい部活でした。
どのくらいゆるいかというと、楽譜が読めなくてもOK。
耳コピでOK。
あと、人数が少なかったですね。
各パート5人くらいしかいないかったです。
なぜ合唱部なのにゆるくなっちゃってたかというと、吹奏楽部に出番を奪われていたからです。
うちの高校の吹奏楽部、なぜか合唱もやってたんです。
しかも合唱部よりも本格的な指導を受けていたらしく、めちゃめちゃ上手いんです。
「部活どこだっけ?」
と聞かれて、
「合唱部だよ」
と答えると、
「ああ、うちの合唱部上手いよね!」
と言われていたのですが、
「それ、吹奏楽部です……」
と心の中で突っ込んでいました。
私のパートはアルトでした。
なぜアルトを選択したかというと、目立ちたくなかったからです。
小さい頃から「歌が上手い」と言われ続け、目立つのが嫌だったんです。
顧問の先生から言われました。
「上手いから、ソプラノになった方がいいよ」
「高音も出るのに、もったいないよ」
しかし、私は「アルトでいいです」と断りました。
「尾羽さんは歌が上手い」
という認識をされることは中学校で既にあり、中学の合唱コンクールでは、
「アルトの中で一番音程が取れているから」
という理由でど真ん中に配置させられ、カラオケのガイドボーカルのように扱われていました。
でも、高校時代の部活は楽しかったです。
練習がキツくなかったわけではありませんが、好きな歌を楽しめたので苦ではありませんでした。
ゆるい部活で、ある意味よかったんだと思います。
最近、母校の公式サイトで部活のページを確認したら、コンクールで賞を獲るまでに成長したらしく、ほっと一安心した私なのでした。