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好奇心と共感がポイント!Z世代の記者が教える歴史の楽しみ方

 学校のテストに出るから、受験のためだから、と年号や人、制度の名前を暗記することが目的だった歴史の勉強。最近では鎌倉幕府は1192(いいくに)ではないことを知り、愕然としました。どんなに一生懸命記憶しても新しい発見があれば歴史は変わります。それでは何のために歴史を学ぶのでしょうか。
 今回は好奇心いっぱいに歴史や文化を学ぶ下野新聞社の田中佑花さんにお話を伺いました。「同世代にはなかなか共感してもらえない・・・」と苦笑いしながらも、キラキラの瞳で歴史の楽しみ方を伝授いただきました。
 「歴史=勉強」と敬遠していた方、外国人やお子さんに質問されたときにドキっとした経験のある方必見です!



現役の新聞記者へ逆インタビュー!?

下野新聞社で記者として活躍する田中佑花さん

 栃木県宇都宮市出身の田中さん。栃木県民の情報源である下野新聞の記者として働いています。今年から佐野支局に転勤し、佐野市の様々な出来事を取材し発信しています。地元が大好きな私でも知らなかった地元のことを、下野新聞を通じて知ることが多く、地元の方だけでなく県外の方と話す時の強い味方です。
 ある日、仕事の一環で佐野市郷土博物館にお越しいただいた際、田中さんが歴史や文化について熱心に話を聞き、ディープなコメントをされていたのが印象的でした。恐れながら現役記者である田中さんに逆インタビューをお願いすることにしました。実は、最初に連絡をする前に半月ほど悩んだのですが、勇気を出してオファー。快く受けてくださり、本当にありがとうございます!
 それでは本題に入りましょう。まず、田中さんが歴史に興味を持ったきっかけについて伺っていきます。

歴史を身近に感じたおじいちゃんとの思い出

 まずは歴史に興味を持ったきっかけから質問してみました。「歴史に興味を持ったのはいつ頃だったかな、と記憶をたどってみると、小学校低学年の頃に祖父と一緒に訪れた宇都宮市の飛山城跡のことを思い出しました。ここは鎌倉時代に宇都宮氏の家臣である芳賀氏が築いた城です。城はすでに廃城となり、実際の建物は残っていません。飛山城跡の裏を流れる鬼怒川を眺めながら、祖父が「白なまず伝説」について話してくれました。」

むかし、飛山城に、たいへん仲のよいお殿様とお姫様がいました。

 あるとき、このお城でお家騒動が起き、戦いがはじまりました。

 戦いは激しくなり、お姫様は追い詰められて、飛山城の断崖から鬼怒川の渕に身を投じ、命を落としてしまいました。

 その後、お姫様は白いナマズに変身してしまったと言われています。

 今でも白いナマズは鬼怒川のどこかに生きていて、飛山城を見守り続けていると伝えられています。

宇都宮の民話「飛山城の白ナマズ」 - 宇都宮の歴史と文化財 (utsunomiya-8story.jp)

 「飛山城には白いナマズがいて、祖父は実際にそれを見たことがあると言うのです。大人になった今では、話が盛られていたのかなとも思います(笑)。けれど当時の私は「おじいちゃんが見た白なまず、私も見てみたい!」と興味をかき立てられました。調べてみると、伝説はとても素敵な話ですし、昔の人々がこの野原で戦ったのかな、同じ景色を見ていたのかなと、思いを馳せることができたのが、歴史に興味をもったきっかけです。」
 おじいちゃんとお孫さんの素敵なエピソードですね。気になったことがあったら調べてみる、というのを子どもの頃からやっていたのに感心しました。
 ちなみに伝説の白ナマズではないかもしれませんが2016年に栃木県の那珂川で発見され、なかがわ水遊園で公開されたそうです。なまずは成長過程で段々と黒色になってしまうため、このタイミングで見られた方はまさに幸運ですね。

ゲームのように楽しみながら歴史を学ぶ

 おじいちゃんとの日常の中で、少しずつ歴史に興味を持ち始めた田中さん。歴史も好きですが、他のお友達と同じように、ポケモンや読書も大好きだそうです。

 「小学生の頃、通学路で見つけた小さな森が気になったことがありました。近くに「古墳」と書かれた看板があったんです。帰宅してからインターネットで調べ、さらに気になることがあれば図書館や博物館に行って調べたりしていました。見慣れない道具を見かけると、「これは何に使われていたのかな?』とまた調べてしまいます。私にとっては「元ネタ探しゲーム」みたいなものなんですよね!少しでも興味を持ったらゲームがスタートします。そうするとワクワクして、「勉強」というハードルがグッと下がるんです。」

「これは何だろう?」を育ててみると思わぬ大発見があるかも

興味を持ったら、まず調べてみるという行動をゲーム感覚で楽しんでいるのが、田中さんの学びのコツなんですね。今ではAIがすぐに適切な回答を返してくれたり、写真を撮るだけで答えが見つかる便利な時代になりました。この利便性を活かさない手はありません。皆さんも、今気になっていることはすぐ検索してませんか?

推しは武田信玄!強いだけじゃない人間らしさ

 栃木県で生まれ育った田中さんに「推し人物」を伺うと、意外な回答が返ってきました。「実は武田信玄がとても好きなんです💓」と言うのです。信玄といえば、甲府駅前に鎮座する像や「風林火山」を思い浮かべる方も多いでしょう。大きくて強そうな戦国武将のイメージがありますが、田中さんが魅力に感じるのは彼の人間性だそうです。

信玄といえば風林火山。かわいらしい印象をいただいていたのでこれは意外でした。

「山梨に親戚がいることが、信玄を知るきっかけでした。信玄は頭もよく、戦いも強い、戦国時代を代表する武将ですが、実は引き分けが多いんです。これには理由があって、完全勝利は相手にとっても自分にとってもよくないと考えていたからです。引き分けなら、自分が驕(おご)ることなく、まだ成長の余地があると自らを高め続けられると感じていたのでしょう。
 また、領地である甲斐国は水害が多く、信玄は苦しむ領民のために治水事業を行い、「信玄堤」と呼ばれる堤防を作りました。また山梨県といえば「ほうとう」が有名ですよね。これはお米が育ちにくい山梨県の土地柄があり、小麦やそばの作物が主流でした。ほうとうは、お米を炊かず手軽に調理できるため戦の合間に食べる「陣中食」として信玄が推奨したと言われています。土地柄や調理の簡単さや保存性でほうとうは陣中食として取り入れられました。そのような機転の良さも領民から厚い信頼を得るひとつの人間性だったのではと感じています。
 ただ、彼にはお父さんと不仲になり追放したという過去もあります。血のつながった家族と対立するのは辛かったでしょうし、悩んでいたのだろうと思います。そういうエピソードを知ると、彼も自分と同じ人間なんだなと感じて、さらに好きになりました。」

甲府駅前の武田信玄像。出口の反対側にはお父さんの信虎像もあるそうです

 戦国武将と聞くと、遠い昔の話で、勇敢で優秀な人々が活躍した世界というイメージを抱きがちです。しかし、田中さんの話を聞くと、彼らも仕事に悩み、人間関係で悩み・・・共感できる部分がたくさんあることが分かりました。様々な悩みを抱えながら、ちょっとしたことで大笑いしたり、広い空の下で幸せとは何かを考えていたのかもしれません。

古典の美しさを再発見!Z世代が感じる百人一首の魅力とは?

 信玄に続いて、もうひとつ「推しアイテム」をご紹介していただきました。

「実は、どうして歴史が好きになったのか母と話していたときに思い出したのが、これでした。」

実家からお持ちいただいた推しアイテム

 今回お持ちいただいたのは、百人一首です。小倉百人一首ともいわれますが、鎌倉時代初期に成立したと言われ、100人の優れた歌人の和歌を集めた秀歌集です。競技かるたでもおなじみで、漫画『ちはやふる』で知っている方も多いかもしれません。田中さんの小学校でも、百人一首を使ったかるた取り大会が行われ、子どもの頃から馴染みあるものでした。
 中でもお気に入りの句は、
あらし吹く みむろの山の もみぢ葉は 竜田の川の にしきなりけり」(能因法師、後拾遺集 秋 366)
という一句。

「嵐のあと、山の紅葉が川に敷き詰められる様子を想像すると、とても美しいですよね。残念ながら実際の三室山に行くことはなかなかできないですが、身近な景色でも共感することができます。数百年前に作られた和歌なのに現代の私たちにも通じる美的感覚が、当時の人々にもあったと思うと、親しみが湧いてきます。だからこの句が好きなんです。」

百人一首には、情景を描いたものもあれば、恋の歌も非常に多くあります。「恋の歌では、
見せばやな 雄島の蜑の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず」(殷富門院大輔、『千載集』恋・884)が素敵だなと思います。
よく「涙が枯れるまで泣く」と言いますが、涙が尽きると血に変わるんです。これを「紅涙」と言います。この句では、泣きすぎて涙を拭った袖の色が変わってしまったことを、あなたに見せたいという意味になります。愛というか思いがすごいですよね。
 百人一首は、景色や恋愛など、ひとつひとつに共感できるところがあって、現代人から見ても魅力的なものばかりです。」


思わずキュンとする和歌に出会えるかもしれません💓

 田中さんのお話を伺いながら、これから訪れる紅葉の季節が楽しみになり、また「涙が枯れるほどの恋愛なんて、まだしていないなぁ」と、しみじみと振り返ってしまいました。私は受験勉強の時に百人一首を覚えるのが苦手で、あまり良い思い出がありませんでしたが、こうして改めて触れてみると、日本人の素晴らしい感受性を味わうことができました。

記者から見た佐野市のよさ

 最後に今年から活動拠点が佐野市となった田中さんに、佐野の魅力について伺いました。

佐野のこと勉強中!と言いながらも名所からおいしいものまでたくさんご存じでした✨

「佐野市に来た時、まず人と人との距離が近く、温かい人柄の方が多いなと思いました。この町には古くから続いている浅間神社の火祭りや、藤原秀郷といった偉人がおり、歴史的な魅力が多いです。特にすごいと感じるのは「天明鋳物」です。約1000年も続いているこの技術は、平安時代の頃から受け継がれています。その技術や思いが長い間引き継がれているのは、並大抵の努力ではできない素晴らしいことです。せっかく下野新聞社の記者として佐野にいるので、この秘密を探っていきたいです!」


歴史ってコミュニケーションなのかもしれない

 インタビューを終えて、年号や出来事を暗記していた学生時代の苦手意識から解放され、人生の先輩たちの努力や感性を伺い知ることができました。
田中さん流の歴史を楽しむポイントは2つ。

1つはちょっと調べてみる好奇心。
もう1つは共感してみること。

それを繰り返すことで、歴史上の人物や作品との距離がどんどん縮まるような気がします。これって、もしかしたら今生きている社会の中でとても大切なことではないでしょうか。まさに初対面の人と仲良くなる時と同じですよね。
 当たり前ですが、違う価値観も多数存在するので、すべて共感することはできません。「これはいいな、素敵だな、わかる~~~!!」と思うことがあれば「何でそう思うの?わからないなぁ~~~」と感じることもあります。コミュニケーションは相互理解と言いますが、背景や価値観の違うものを知ることで視野が広がり、行動の選択肢も増えていきます。歴史を学ぶことは、残念ながら生身の相手はいませんが、心を寄せることはできます。それが共感力を育むのでしょう。(つい行き過ぎて妄想が膨らむばかりですが・・・)

秀吉って小顔なのかな?という第一印象から深堀すると、肖像画1枚でも深いんです

 佐野市郷土博物館で開催されている「戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城」では、私たちの地元を作ってきた佐野氏と、豊臣秀吉や徳川家康といった有名武将とのつながりがわかる資料が約70点公開されています。
 自分の住んでいる町名が古地図にも載っていたり、信長から秀吉、さらに佐野氏へと受け継がれたオーラ満点の龍綺兜が公開されたりしています。
 戦乱の世の中で、周りの武将たちと上手にやっていくことが家を存続させることにも繋がります。時に仲間となり、時には敵となる複雑な人間関係は、現代社会でも学べることが多いのではないでしょうか。これまで苦手意識のあった皆さんも、ぜひ身近なものから調べてみたり、ノスタルジックに思いを馳せてみてくださいね。

「戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城」土日は混みあうので平日がおすすめです!

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佐野市郷土博物館 第78回企画展
戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城

📍栃木県佐野市大橋町2047
佐野市郷土博物館内 企画展示室
📅10月5日(土)~12月8日
⏰9:00~17:00
😴月曜日/祝日の翌日/毎月末
👛¥330 学生以下無料

詳細はこちら


🌟 公益財団法人佐野市民文化振興事業団
佐野市大橋町2047(佐野市郷土博物館内)
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