【動画投稿】小志/太宰治

小志

桜桃忌に合わせて投稿をしていました。
深い意味を持って選んだものではありませんが、随筆『小志』を選んだ理由として、まず文章量が少ない事、故人を悼むにあたり、その人の為人が見えるものを選びたかった事が挙げられます。

まあ、太宰なので、何を選んでも我を主張してくれはすると思いますのし、『私の思う太宰像がよく出ている作品』を選んだ。が、正しいのでしょうが……。

まず私が太宰と聞いて連想するのは、『駆け込み訴え』や『如是我聞』のような口述筆記(如是我聞は後に草稿が見つかったらしく厳密には違うみたいだけど……)で書かれた作品群。そして、

立石に水のごとく捲し立て、道化じみた情緒不安定さで翻弄してくる芸風の時の太宰のノリ方がとても好き。その反面、目まぐるしく考えや感情が変化していくむき出しの文章に苦しさを感じると共に理解し難く思うが、それが面白い。

というのが太宰に抱く私の感情。
女学生のような思春期の少女の繊細な心情を描く所も素晴らしいが、ついていけない程のジェットコースターの如き情緒不安定さに振り回されながら読むのが楽しいので、やはり好きな太宰はと問われれば駆け込み訴えのような作品になる。

で、少し戻って、何故小志を選んだか。
私は太宰を見栄(虚勢)の人だと思っている。けれどもそれを悟られるのは嫌で、卑屈な気持ちを持ちながら生きている所がある為、逃げ道の如く滑稽な自分、可哀想な自分という物も感じ取ってもらいたい。
でも過度に可哀想だとか惨めだとかは思われたくない難しいさじ加減で自分を演出している人なんだと思う。
説明は難しいが、可哀想だと思われる前に自虐で笑いを取って自分を慰めたがるタイプの人というか、そういう健全では無いけれども慈悲深い誰かが手を差し伸べてくれる事を願っているのが私の思う太宰治。

それが小志の見栄(虚勢)と滑稽を紙一重のように見せかける表現にぎゅっと詰まっていて良いかなと。

特別に詳しいと言う訳では無いが、詳しくないなりにもこういう作家像……というのがある。それが太宰治の魅力であり、自己プロデュース力の高さなんだろうね。

私は文豪とアルケミストというソシャゲが好きで、その中に登場する、太宰の師匠筋である佐藤春夫(をモチーフにしたキャラクター)が好き。
そんな流れから最初は春夫を読み、太宰を読み、少し足を伸ばして井伏を読み(亡くなられたのが平成初期なので書籍を買わなきゃ読めないハードルの高さで後々になった)とゲームとの出会いが無ければ手に取ることもなかった近代文学に触れる入り口に立った作家の1人でもあるので、読む機会が増えるにつれて思い入れもありますし、印象だって具体的に形作られて行きます。

入り口がゲームだから不勉強を許せという免罪符をかかげる訳では無いが、近代文学を手に取る以前に私はオタクです。
オタクには作品のみならず作中に登場するキャラクター、果ては作者までそれなりの強度のある解釈を持って接する人もいます。
他人の解釈を否定すると言うのは開戦のゴングを貴方から鳴らして殴りかかって来るようなものです。

と、言うことで君には君の太宰があって、私には私の文字を通して感じた太宰像がある。
そこに違いも争いも無いだろ?

無粋の一言なので、解釈バトルを戦わせる気は無いよと先に予防線を張っておくね。
太宰治『が』好きな人って過激な人が多いからね。私は太宰治『も』好きな人だし、仮にバトルをしかけてきた人がたまにいる春夫に強く怨だの怒だのを抱いているだった場合、初手から分かり合えないので悪しからず。

私の入口は春夫だもんで。
そこから小説よりは詩の方に興味の目を向けて日々近代文学を楽しんでいます。
詩情というものがとんとないので、理解できているかはさておいて、気に入った言葉を声に出して読むのは楽しい。
そういう楽しみ方もあるんだと思って貰えたら幸い。

与太を語りて銭を貰いつつよろづの事につかひけり。 (尾花の血肉になったり、活動を豊かにする為に使います)