それは愛じゃなかった
こんにちは。
珍しく発熱レベルの風邪を引き。
長引いている。
体調の悪い時、noteはいつも書けない。
下書きはいくつもあるのに。
内容がその時の自分とマッチしない。
仕上げる事も新しく書く事もできない。
もう何も考えずボーッとしなさい、ってことか。
ほんの少し体調が回復して、お気に入りのカフェやショップに顔を出したり、紹介してもらった本屋さんに行ってみたり。
出歩けば『これ、いいな』は無限に在る。
インターネットが無い時代は、家に入れば物はそう簡単に増えなかった。
食べ物も着る物も使う物も、私一人が消費できる量なんて知れている。
私は腕時計が好きで、家には4本の腕時計がある。『腕は2本あっても、身に付けるのは片腕でしょ?』と夫は笑う。
近頃、極端に疲れている。
物と情報が私の中で溢れかえっている。
自分で始末がつかなくて溺れている。
何かを獲得すること
何かを所有すること
何かを管理すること
何かを消費すること
それぞれに得意不得意があって、好き嫌いがあってそれでいい。
車を5台所有しても、家が2軒あっても、蔵書が1万冊あっても。
これは極例。
『自分』のしたい、と、できる、のバランスの問題だ。
私は食べる事も好き、飲む事も好き。
作る事も好き。
考える事も好き。
その全てに入ってくる道と、出て行く道があって。
インプットもアウトプットの狭間で。
私の体調も、思考回路も著しく渋滞している。
身体が、心も、頭も、胃腸もパンクしておる。
片付けの本を読んでいて、服や物を手放した人の振り返りコメントにハッとした
『愛着』じゃなくて
それは『執着』だった
なるほど、言い得て妙だ。
この誤解されやすい感覚。
愛着であれば、気持ちは疲れないだろう、身体は疲れても休めばいい。
でも、
執着であれば、
気持ちも疲れるだろう、心は悲鳴をあげて身体は休めもしないだろう。
出来ないことに焦ってしまえば、即席に出来るようになること、物を、形を得ることへ矢継ぎ早に走っていた。
そうやって少しずつ自信を緩やかに削り取っていったのだ、私は。
やりたいことにじっくり取り組む、自分のタイミングで必要なものを得て、形づくっていく。
一抹の寂しさを、無闇に埋めてしまわないように。
虚しい時間もいい。
もがいている。
その現在は未来を創っている。
それは愛だった、と。
やり切れなさを語り尽くして、悲しみを笑い飛ばして、今日を味わうの。
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