美しい顔面主義
人にはそれぞれ考え方の癖みたいなものがあって、それは先天的なものだったり、成長過程の中で染み付いたものだったりする。
そして22歳になった今、それを変えるのはなかなか、雷にでも打たれない限り難しい。
私の考え方の癖のひとつに、『美しい顔面主義』がある。
美しければ何をしてもいいし、美しい顔面の人には、たとえ私がノーベル賞を取っても、アカデミー賞を取っても、大統領になっても(笑)一生敵わないと考えてしまうのだ。努力も成功も友情も愛情も顔面の美しさの上にしか成り立たないと考えてしまう。
小さい頃、セーラームーンで好きだったのは愛野美奈子(セーラーヴィーナス)。なぜなら美の戦士だからだ。思えばそのころから美しさにこだわっていたのかもしれない。それから、小学校高学年になるとテレビを見れる時間が増えて、テレビドラマに没頭した。綺麗で可愛い主人公が、ドラマの中でキラキラと笑う。そんな世界に洗脳されてしまった。私(主人公)が当たり前に美しくて、当たり前に幸せな世界。私は妄想を膨らませた。頭の中で美しい私が、恋に落ちていた。
中学生になって、鏡の前に立つと、そんな世界は一瞬で消えて、生々しい現実だけが目の前を覆った。
そう、私の顔面は、お世辞にも美しいとは言えない。
いつもどこかで相手に対し、顔面の"引け目”を感じてしまう。
勉強で成果を出し褒められても、私の顔面は美しくないから私の価値は0だ。せいぜい、カルピス3口分だ。
、、、なんて、気分が沈んだ時にはそんな思考に至る。
もちろん客観的に見ると、顔面の美しさが全てだとは思わない。
『美しい顔面主義』は私にだけ適用されて、他の人にはされない。いや違う。私以外の人は私より美しい。ちゃんと人間で、魅力的だ。
こう書いていると、『美しい顔面主義』というよりも、ただ自分に自信が無さすぎるだけなのかもしれない。自分の顔が苦手すぎるだけかもしれない。いやでもやっぱり、美しい顔面であればあるほど、世界の全てに感謝して生きていられるような気がする。セーラーヴィーナスのように、あのドラマの主人公のように。
私は自分のことが不幸だとは思わないが、ただ美しければ、というどうしようもない憧れが、『美しい顔面主義』的な考え方の癖を誘発して、苦しくなる。
めんどくさい考え方の癖だなぁ。
なんて自分に呆れながら、でも今は解決策が見つからない。
とりあえず、雷を待つことにします。
obake
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?