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【連載】鹿児島県民教育文化研究所の取り壊しに思う④

ここまで「鹿児島県民教育文化研究所」を利用してきたものとして思い出などを綴ってきました。

今まではあまり所有者に触れませんでしたが、取り壊しのことがSNSなどで少しずつ知られるにつれ「行政はなんてことをするんだ」と鹿児島県や鹿児島市が所有者だと勘違いされて憤慨する方もいらっしゃるようです。しかし所有者は「財団法人鹿児島県教育会館維持財団」です。県や市ではありません、あくまでも「財団法人」です。

ではなぜ、戦前に建てられ、鹿児島大空襲の戦火も逃れたこの木造建築物を壊すのか。確かに建物は老朽化しています。随所に意匠を凝らした建物は修理や補修を行うには費用も掛かることでしょう。これ以上資金的にも維持していくのは大変ということは十分わかります。

雨漏りがするためにブルーシートが敷かれている場所も

また、「所有者が所有物をどう扱おうと自由」なのかもしれません。口だけ出して金も出さない外部にとやかく言われることはないのかもしれません。

しかし、どうしても納得できないのです。財団の性質ゆえ長期間、周囲にバリアを張り巡らせていた場所。そのため、地域の人もなかなか立ち入らず、いつしかタブー視されるような場所になってしまったと聞いています。そんな場所が「地域の方々になら」と門戸を開き、イベントなどで利用できるようになっていました。さらにはパンフレットを作成し、価値ある建物だと思ったからこそ、国の登録有形文化財にも手を挙げたはず。それが「資金難」というだけでいきなりの取り壊しに転じてしまうのでしょうか?

先日某所でいただいた資料にありました、昭和56年(1981)12月19日に「鹿児島県民教育文化研究所」が設立された時に掲げられたという趣旨を紹介したいと思います。

「鹿児島県の子どもたちの状況と、文化・社会の退廃や逆流を放置できないとして、今の時点に立って広く県民の良識と叡智を結集し、すぐれて地域で直接教育に携わる教職員、地域文化人の活動を、真に子どもの現状と未来に応えて豊かなものに創り替えるために県民の側の具体的運動を起こすことにしました」

研究所設立から40年、この趣旨はどう活かされてきたのでしょうか? 「広く県民の良識と叡智を結集」すれば、取り壊し以外の道は見つかるのではないのでしょうか?

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