南薩鉄道に乗って
私の人生は旅、だと思う。
その理由のひとつに、人生初の「家出」がある。
あれは私が小学3年生か4年生のころ。姉か兄と喧嘩でもしたのが原因だろう、「もうこんな家を出てやる!」と家出を決行した。
家出先は母方の祖父母宅。祖父母宅は自宅のある市の隣、南薩鉄道という私鉄で結ばれている。祖父母宅には普段は自家用車で行っていたが、30分ほどかかった。もちろん車の運転はできないし、歩いたり、自転車で行くなんてとんでもないことに思えた。そこで思いついたのが、南薩鉄道を利用すること。だが当時、我が家はお小遣いという制度はなく、お年玉はあればすぐに使ってしまう私の手元現金では片道運賃に足りなかった。そこで知恵を絞り、母の勤め先に行くと「友達の誕生日プレゼントを買う金が足りない」と噓をついて資金を調達し、最寄り駅に行くと、まんまと電車に乗り込んで祖父母宅へ向かった。祖父母宅は最寄り駅から歩いて15分ほどだったろうか。いきなり現れた孫に祖父母は驚いていたが、私は初の家出が成功裏に終わったことが嬉しかった。
しかし、そこは小学生の浅知恵。母は私の嘘を見抜いていたし、何より祖父母から間違いなく自宅に連絡がいく。その夜、父が迎えに来てあっけなく私の家出は終了することになった。
私の家出はもう40年も前のことなので、自分の記憶に脚色や抜けがあるかもしれない。なによりいくら40年も前の田舎の私鉄とはいえ、小学生がひとりで乗っているのを不思議に思われなかったのだろうかという疑問も残る。が、思い起こす限りではあれが人生初の「旅」だった。真っ赤で丸いボディーの南薩鉄道。実家エリアで唯一の鉄道。あれに乗れば確実に祖父母宅に行ける。「私はきっとここのうちの子ではないんだ」と子どもにありがちな思い込みで“不幸な私”だと思っていたから、甘やかしてくれる母方の祖父母の家しか逃げ場を思いつけなかった。亥年生まれだから思い込んだら突っ走ることろがあるのだけど、どうやら私の性格はあの頃から変わっていないようだ。
南薩鉄道は私が中学生の時に廃線となった。地元を襲った水害が決定打となった。中学生になるまでに何度か乗車しているはずだけれど、克明に覚えている乗車体験はこの家出の時だけ。なので「南薩鉄道」と聞くとちょっぴり気恥ずかしい思いがするのだ。