【2024.05】平沢進+会人Live HYBRID Phonon2566+
平沢進が好きだ。
こういうことをインターネットで言っている人には警戒したほうがよい。
ヒラサワを始めとする、万人ウケはせず、その一方でカルト的な人気を誇るアーティストのファンというものは、往々にしてその自分のセンスのよさに酔っているきらいがあるので、場を弁えることなくアーティストの威を借りて自己承認欲求を満たそうとする。
一時期のニコニコ動画のコメ欄とかすごかった。
でも最近は、コンテンツの量があまりにも増えすぎた結果、メジャーとサブカルの境界が曖昧になってきており、結果としてすべてのコンテンツにそういうファンが発生している。
でもまぁ、そういう時期も人間には必要なんだと思う。蛹(さなぎ)みたいなもんだ。昔を懐かしみながらスルーしておきましょう。最近のインターネットにはわざわざ蛹を見つけてきてはガソリンをかけてライターで炙るような連中がいっぱいいてそれはそれで大変だ。なんとか成虫になってほしい。
インターネットで平沢進に言及するにはこのくらいの枕がいる。
5月某日、平沢進のライブ「HYBRID Phonon2566+」があったので行ってきた。
実は少し前にやったライブの追加公演だったのだけれど、一点だけ大きく違った点があった。
スタンディングだったのだ。
自分はスタンディングライブというものが初めてだったので、結構不安だった。世のスタンディングライブというものは、モッシュとかダイブというものがあるらしい。万に一つでもそんな事態が発生したら私の貧弱な肉体は押しつぶされてしまう。一体どうしたらいいんだ。そんな一抹の不安を抱えながら挑んだライブだった。
えー、杞憂でした。誰がヒラサワのライブでモッシュすんねん。ヒラサワのファンというのは真っ黒な服を着た大人しい人たちで、もれなくヒラサワに憧れているので皆さん姿勢よく直立不動で音楽を聴きます。会場は満員だったけど、上手いこと間隔を空けて楽しんでいました。絶対にパーソナルスペースを侵さないぞという信念みたいなものが感じられた。
それでもまぁ、スタンディングなので、以前行った座席ライブ(座って楽しむライブってなんていうの?シットダウンライブ?下品な英語のスラングみたい)よりも音楽にノれて、ところどころみんな歌っていたりして楽しかった。
個人的には「時間等曲率漏斗館へようこそ」の「形而上!形而上ウォウォウォウ!」をみんなで歌ったのが楽しかった。こういう得体の知れないワードを全員が共有している異常空間というのは楽しい。ヒラサワのライブって全編そうだけど。
(YouTubeで聴くのはあまりお行儀のいいことではないので、良いと思ったらCD買ってください。)
そういえば「時間等曲率漏斗館」ってなんやねんと思っていたら、『タイタンの幼女』という小説が元ネタらしい。SFだ。ヒラサワはこの辺の宇宙物理学~量子力学周りの用語を曲に組み込んでくる時がある。こういう文系によるサイエンスへの憧れは、時に凄まじい世界観を生み出す。クリストファー・ノーランとかがいい例だと思う。
「白く巨大で」の「重ね合わせの街」っていう歌詞も『都市と都市』というSF小説が元ネタな気がするんだけどどうなんだろうか。二つの都市が量子力学的重ね合わせ状態にあるという話。
私自身も量子力学のロマンに憑りつかれた人間で、赤ん坊が光子の性質を持ち、時として波状になって人間の体内を転移していく、という映画を撮ったりしている。よかったら観てください。
自分語りをしていたらヒラサワから話が逸れた。当日のセトリはこんな感じだった。
今回のライブは平沢ソロ、P-MODEL、核P-MODELの楽曲をそれぞれ全部やるというコンセプト。各名義にそれぞれ赤、ピンク、青の色が割り振られており、定期的に三色のルーレットみたいな演出が挟まれる。
ヒラサワはこういう演出が異常に上手い。インタラクティブ・ライブ(観客の選択によってストーリーが分岐し、セトリが変化するライブ)なんかが最たる例だが、ゲーム的な演出をよくやる。
最近ではライブにストーリーを組み込むアーティストはかなり増えたものの、ゲームのように様々な選択肢の広がりを見せることはあまりない。
ヒラサワは、観客にゲームの如き”選択肢”を与え、世界に参加しているかのような錯覚を与える。その実、その選択肢は平沢進によって語られ、形作られたものであるのだが、観客の目にそれは欺瞞ではなく絶対的な威信として映る。
最近のヒラサワは陰謀論に傾倒していると度々ネットでは語られ、事実そんな感じの発言を本人もしている。ただ、ヒラサワという人間は恐らくもっと面倒くさい人間で、この陰謀論の構造を自分自身で体現してしまっている人のような気がする。与えられた選択肢は全て作られており、辿り着いた真実も虚構である、という血沸き胸躍るロマン溢れる語り口は、これまでの退屈な世界は虚構也と喧伝する陰謀論の技法であり、同じくヒラサワがこれまで世界に提供してきたコンテンツでもある。
どこまでメタ的に見るか、という話に帰結してしまうが、結局この面倒くささに私はいつも惹かれてしまう。
あんまりライブの感想を話していないが、それはまぁぼちぼちネットに転がっているのでいいでしょう。相変わらず素晴らしかったです。
核Pの新譜も楽しみですね。
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