【2024.09】新しい怪獣[モンスター]展
みなさんは、好きなモンスターはいますか。
ぼくはコイツです。
怪獣、あるいはモンスターというものは、ある種の恐怖の象徴であると同時に、創作者が背負ってきたカルマの集合体のようにも感じる。
モンスターを作らせれば、その人間が人生の中で溜めてきた澱がヒトならざるものとして出力されてくる。
インスタを見ていたら、広告に「新しいモンスター展」なる展示が流れてきたので、ふらっと行ってみることにした。
もう十二回もやっているらしい。年に一度のモンスター祭。こう言うとソシャゲのイベントみたいになるな。
色んなアーティストが思い思いに考案した怪獣アートが展示されている。
絵画もあれば、立体物もある。
これはかなりよかった。
甲虫のような背中に子供らしき顔がつき、腹にはスチームパンクな機械、そして下半身はソリのような骨格。ところどころにはチェーンが走っている。
この有機性と無機性のバランス感覚がとても好みだった。有機物の中では無機的な甲羅と、無機物ながらに有機的に絡み合う歯車。そのあわいのような部分にこのモンスターは存在している。
この発想とんでもないなと思ったのは、なんと背中に街がある。
こいつがめちゃくちゃ巨大なのか、それともこの町はこいつの中で内面化されたものなのか。解釈は留まるところを知らない。
この作品も印象的だった。
機械の少女、というコンセプトはアートシーンのみならず、サブカルチャーの分野で散々消費されてきたコンセプトであるが、この作品はそうした消費文化から一線を引いて際立っているような感覚があった。
少女の肌は溶けるように破れ、機械が露出しているが、それとは別に肌が透けて骨格が見えてもいる。この機械、あるいは内面の露出というものにも様々な区別があり、外から見えてくる機械も一枚岩ではないのかも知れない。
少女の周りを飛ぶホシベッコウカギバ(たぶん)も、擬態、あるいは透明化といったテーマを内包していることを感じさせてくれる。
公式サイト見てたら自己紹介に「大学生です」って書いてあった。恐らく私と同い年かちょい年下とかだ。最近こういうことが多い。素晴らしい作品だ!と思っていたら自分と同世代の人だった時、創作者としてなんかこうクるものがあるというか、靄のような焦りに包まれるような感覚がある。
特に芸大の人って、自分の作品をめちゃくちゃ展覧会に出す行動力があってすごい。私の気色悪い映画はぜんぜん映画祭にかからないのに。
でも、同世代のアーティストを今から知っておくのは大事だと思うので、これからも不安に駆られながら展覧会に行こうと思う。
これは完全に見た目が私好みだったモンスター。こいつと戦うゲームをやりたい。
見た目はいかにも敵モンスターなんだけれど、よく見ると本体(上の頭)の身体はとても華奢なのがいい。彼がモンスターになる過程のストーリーが浮かび上がってくるような造形だ。
なんか他にもいっぱいモンスターがいたんだけど、なにぶん3カ月前なので覚えてないです。日常に潜むモンスターどもに対処するので精一杯です。
中にはウルトラマンのソフビの首をちょん切ってキングギドラの首に差し替えたものとかもあった。アート展に行くと一つ二つはこういうものに遭遇するが、私はどうしてもこれ大丈夫なんかいな、という感覚を覚えてしまいます。キャラクターに付随する所謂コンテクストのようなものを活用して新たなメッセージを生み出す、という営みは確かにアートなのかも知れないが、うーん、人の褌で相撲をとってるようなものじゃないのかい、とも思ってしまう。特にウルトラマン作ったひとはこれ見て喜びはしないだろうな、と思うとどうもアートというよりはもっと露悪的な、トイストーリーのシドの延長線上に近いような気がしてくる。
これは私が映画を作っていたせいもあるかも知れない。集団芸術である映画は、個人芸術の絵画や彫刻よりも商業性が強いので、他人のIPというものに不可侵の意識を持っている。
同年代であっても芸大の人とかと話すと、アートの範疇であれば多少は許されると思うし、許されるべきだ、というテンションだったりする。
どちらも一理あると思います。怒られるのが怖いのでこういうまとめ方にしておく。
でも、モンスター展の大半は完全にオリジナルなモンスターたちで、アーティストの皆さんの豊かな発想が楽しめる場所だった。
新しい怪獣[モンスター]展、バリエーション豊かでとても刺激的な作品群でした。来年も行きたいね。
このギャラリーがあった渋谷ヒカリエの8階、どうにもしゃらくさいフロアだった。最近の東京、「余裕」みたいなものをコンセプトにしたあんまり使い道のない空間が増えすぎだと思う。