タモリ倶楽部とメタリカのジャケ弁の思い出
終わっちゃいましたね。タモリ倶楽部。金曜日の深夜が寂しくなってしまいました。深夜番組ばかり見てた思春期、洋楽を聴き始めた頃だったので空耳アワーを見て聞いてみたい!と思った海外ミュージシャンのCDを買ったり、レンタルしたりしてました。そして高校生くらいから社会人になる頃まで空耳アワーだけをビデオテープに録画(もちろん標準で)していた女は私です。ビデオテープがカビてしまって捨てた時は、本当に辛かった記憶があります、はい。
そんな私がジャケ弁の本を出した時に、タモリ倶楽部に出たことがありまして、その時の思い出を書き留めようと思います。人生何があるかわからんもんですな。
空耳アーティストでジャケ弁を作ろう
実はジャケ弁を本を出したことがありまして、そこからいろんな人との繋がりがあって、なぜだかタモリ倶楽部に出ることになっちゃんたんですよね。懐かしのジャケ弁本。
撮影前に番組制作の方と打ち合わせをしに行きました。そこで打ち合わせした方が、ロック大好きな方で(特にメタル)私が空耳アワーを録画してましたと話したら、そうゆう人に出てもらえて嬉しいと言ってもらえて私も嬉しかったのを覚えています。撮影当日にジャケ弁を作って持っていくことになり、作るのは有名空耳があるアーティストにしようということで打ち合わせは終わり、翌日私から作るジャケ弁はこれにしますとメールを送りました。
空耳好きならみんな知っているはず
マイケル・ジャクソン(空耳:パン!茶!宿直!etc)
ジプシーキングス(空耳:あんたがーたー ほーれみぃーやー 車ないんかーーーー こりゃまずいよーー)
プリンス(空耳:農協牛乳)
メタリカ (空耳:バケツリレー!水よこせー!etc)
特にメタリカ は絶対に作ると決めてました。私は空耳アワーでメタリカの曲を聴き、こいつは聞かないとあかん!とCDを友達から借りたのが、メタリカを初めて聞いたという邪道ルートからメタリカを知った人間だったんです。
それに空耳も「寿司!鳥!風呂!寝ろ」「千代田生命に行こう」「アホでしょ、馬鹿でしょ!ドラえもんでしょ」などなど名作の空耳が多すぎて、空耳といえばメタリカ が1番すごいと今でも思っています。
名プロデューサーからの電話
メールを送った翌日、平日の昼休みのことでした。突如タモリ倶楽部のプロデューサーさんからの電話がかかってきました。何か問題があったんだろうか?と慌ててて、電話にでました。
「作るお弁当の件、ありがとうございます。良いと思います。ですがね、1つだけ、1つだけお願いがあるんです。メタリカなんですけどね・・・Kill 'Em Allを選ばれてますよね?他にも3つ作って頂くので時間もかかりますし、わかります。
でもメタル好きとして、メタリカ 好きとして、お願いしたいんです。
あの・・・・・Master of Puppetsのジャケ弁を作って欲しいんです。」
難易度マックスじゃないですか。しかし名盤中の名盤。
さらに「オバッチさんならわかりますよね?メタリカ のファンがこのアルバムがどれだけ好きかを。だから挑んでもらえませんか・・・」
そんな熱い電話をもらって、私の心も燃え上がった。
「わかりました。挑戦するだけやってみます。ただ、自分でもうまくできるか分からないので。上手く作れなかったら、Kill 'Em Allに切り替えるということでいいすか?」という訳で、私の挑戦がはじまった。
同僚からのアドバイスと撮影前日まで
その日の夜の残業中の休憩タイム、Master of Puppetsの画像をパソコンで見てうーむ?どうするべきか?難しいなと考えていたら、仲のいい同僚が来て何見てんの?というので、ことの顛末を話してみた。
「特にここの茶色をどうするか悩んでてさ・・・」
「ちりめんじゃこでいいんじゃね?」
お前!!!!天才か!!!人に相談してみるもんだな。素晴らしいアドバイスにより、これは作れるかもしれないと思った。
それから数日後、撮影の2日前からのジャケ弁の仕込みに入った。他の3つは、だいたい1〜2時間程度で制作できたが、メタリカは試行錯誤しながらだったので、時間がかかり2時間かけても終わらず、翌日に持ち越してさらに2時間もかかった超大作となった。
カッコ良すぎるタモリさん
朝から付き人としてタモリファンの親友が家に来てくれて、荷物運びや着ていくTシャツの選定などを手伝ってくれた。普通のTシャツではロックファンは驚かない、結果選んだのは特攻野郎AチームのコングのTシャツでありました。
撮影のキッチンスタジオへ行き、撮影の流れを打ち合わせし、準備が整った。そしていよいよタモリさんが登場。いらしてすぐに撮影がはじまった。「毎度おなじみ流浪の番組~」を聞いた時は、震えたのを覚えております。
最初はトークコーナーを録画、ジャケ弁を作るきっかけや今まで作った弁当の写真を見てトーク、そして作ってきたジャケ弁を披露という流れ。
ちなみに私がジャケ弁を作ることになったきっかけは、RATMの再結成でアメリカに見にいくための節約からの弁当作りからなので、その説明をしたんだけど、当時RATMはまだ空耳アワーではそんなに有名じゃなくて「エビの腐った日」って空耳のアーティストなんですが・・・て話したけど、みんなあんまりわかってなかった。今だったら、「ナゲット割って父ちゃん」って盛り上がるのに。
その時に撮影用に作ったジャケ弁はこちらになります。
そしてこれが渾身のジャケ弁です。
これが完成した時に自分で自分を褒めてあげたいって気持ちでしたね。
そんな私にさらにご褒美が待っていた。
トークコーナーの録画が終わって、この後はキッチンスタジオを使ってタモリさん達がジャケ弁を制作するコーナーへ。準備タイムだったのでカメラも止まり、スタッフさんが動き出してザワザワしてた時に
タモリさんが私にだけこそっと「こんなにたくさん作ってきてくれて、大変だったでしょ。ありがとうね」と言ってくれた。
こんなの惚れてまうやろ・・・その後、他のゲストの方と電車の話をされてて、うわー本当にタモリ倶楽部の現場にいるんだと再確認したのだった。
その後、料理制作時間になるとトークを忘れて料理に集中するタモリさんのお姿を後ろから見ることができて至福の時でしたね。素敵すぎました。
結局、作らなかったKill 'Em Allは別の時に作りました。
そして撮影から2ヶ月くらい後に、自分が出るタモリ倶楽部が放送された時にこれも作ったので載せておきます。
タモリ倶楽部と空耳アワー。本当に大好きな番組でした。空耳よ永遠なれ!
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