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無駄な発言なんて一つもないのだから、思ったことは声に出そう

今住んでいる市が「パソコンセミナー」なるものを無料でやるとお知らせが来たのは、夏の終わりだった。
「市民税25万(年)払ってるんやし、元取ったろ」と参加することに。今月から事務のバイトを始めたこともあり、ちょっとスキルアップしたい思惑もあった。

全6回のオンラインセミナーに参加し始めたが、教えてもらえるのは基本的な技術ばかり。
「wordの上の方をいじってみましょう、ホ~ラ文字の大きさが変わりましたよ」とか「テレワークの時はチャットを活用しましょう!」とか、すでに知っていることが多く、あくびを押し殺しながらの参加だった。

それでも全て出席した人は市からリモートワークの仕事が紹介してもらえるということで、2回は頑張って出席していた。

しかし3回目のエクセル講習。なぜかこれまで画面共有していたスライドがなく、ただzoomの画面には講師の顔だけが映っていた。
「A1のエクセルをこうすると、、ほら、大きくなりましたね」と言われても、講師のドヤ顔だけが画面が映っていて、状況がよくわからない。

参加者は自分の他にも数十人いるが、誰も指摘しない。講師のアシスタントや市の職員は何をやってるのだろう。このまま何事もなかったかのように進んだ方がいいのだろうか。。

そんなことも考えたが「誰にどう思われても、これからは自分の感じたことは伝える」と決めたことを思い出し、「すみません、エクセルの画面の方を画面共有してもらえませんか」と思い切って講師にチャットで伝えてみた。

講師は「ええ~今画面共有してほしいという声がありました。・・そうですね、それでは先に進めていきたいと思います」と、なぜか、自分の質問は無かったことにして先に進めてしまった。

思い切って質問したのにそれが無かったことにされたショックか、思わずzoomの部屋をそのまま退出してしまった。我慢してれば市から仕事がもらえるよ、と心のどこかでもう一人の私が叫んだが、その声を振り切って強行退出してしまった。

大勢の場で思い切って発言することも、それをないがしろにされることも、大の苦手だ。
自分が思ってることをそのまま言葉にして、それがどんな反応であっても堂々と受け取れる人が羨ましい。自分などその事態を回避するために「いやいや、こんなことを思ってるのは自分だけかもしれないし」などと飲み込んでしまう。

以前、リーダーシッププログラムという研修に参加したことがあった。講師の一人はアメリカ人だったこともあり、大人しい私に対して「オザ、もっとしゃべれ!」「もっと前に出て話せ!」とハッパをかけ続けた。

リーダーは前に出たり目立ったりしなきゃいけないのだろうか。そんなのがリーダーなら、私はリーダーなんかなりたくない。

そう思って落ち込んでた時、アシスタントの女性が「オザが感じてることは、他の誰かがきっと感じてることだよ。だから思い切って言葉にすることで、同じことを感じてたけど言葉にできなかった人は救われると思う」と言ってくれたことがあった。

そういえば自分も、言いづらいことを誰かが言ってくれたことで、ずいぶん楽になったことが人生で何度もあった。誰かにとっては突拍子もない発言であっても、それは場に必要だから出た声なのだ。無駄な発言など、一つもない。

そんな記憶を思い出していたら、なんだかお腹が減ってきた。途中で学びを投げ出してしまった罪悪感は小さくなって「お昼はラーメンにするか」と、立ち上がって台所に向かった。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。