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文章は出だしが命。最初こそ読み手との信頼関係を丁寧に築く

先日の文章ワークショップで「文章の出だしをどう書いたらいいでしょうか?」という質問を頂きました。

文章は、出だしが命です。
出だしはまだ書き手と読者の信頼関係ができあがっておらず、書き手は神経を使って読者を物語へ、丁寧にいざなっていく必要があります。

書き手と読者の関係性とは、何なのでしょうか。
それは書き手に「この物語を私たちの物語として伝えようとする姿勢」が、あることではないかと考えています。

「私の物語を読んでよね!」という書き手主体の文章ではなく「これは私の物語であり、あなたの物語でもあると信じている。だからどうか共有させてほしい」と、書き手が読者に寄り添おうとしている文章は、スッと読み始められることが多いです。

文章学校では、五感にまつわる表現を入れるよう教わります。

例えば海に行って泳いだ話を書くなら、初夏の海水の冷たさ、砂浜を裸足で歩くときの熱さ。
寄せては返す波音、よく冷えたラムネの爽快な甘さなど、五感をなるべく多く文章に散りばめることで、書き手と読者をつなぐ効果があります。

中でも「書き手が何を見たのか」という視覚情報は非常に大切です。文章の世界では、景色が動くとき読者の心も動くと言われています。

上質なエッセイや小説を読んでいると物語に自然と引き込まれていくのは、ビジュアライゼーションのように情景描写が優れているからではないかと思っています。

・・とここまでの考えを元に、文章の理想的な出だしを考えてみます。
例えば自分が高校生の時の話を書くとき。

「私が高校生のころ、私のことをいじめる先生がいた」


こうした出だしでもよいのですが、このままでは「書き手の物語」になっています。
では、試しに情景描写から物語に入ると何が起こるでしょうか。

「バスを降りて最初の角を曲がったすぐ先に、通っていた高校があった。とても立派とはいえない校門の前で、毎朝竹刀を持って仁王立ちしている先生がいた」

・・どうでしょう。読んでいると自分がその高校の前に立っているような気持ちにならないでしょうか。

(ちなみに私のnoteで一番読まれている記事も、回想部分は情景描写から入ってます)


ここまで好き放題書いてますが、文章は好きなことを好きなように書くのが基本なので、私の言うことなど気にせず自由に書くのが一番です。

しかしどんな素晴らしい物語も読んでもらえなければそこで試合終了ですので、文章の出だしがわからないという方はぜひ情景のシーンから書かれることをおすすめします。

逆に言えば書き手と読者の関係性ができあがってくる文章後半にかけては、多少流れや勢いで書いても最後まで読んでもらえることが多い気がします。

自分の伝えたいことを書きながら読者との関係性も同時に築いていくことが、心に届く文章の出だしになるのかもしれません。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。