上から目線の文章を避けるには?
会社にてお昼すぎ、隣の班のおじさんが「明日久しぶりにテレワークなんだよね~楽しみだなあ。お昼何作ろうかな」とはしゃいでいる声が聞こえた。
ところが夕方になって上司がおじさんに「ごめん、明日出勤してくれる?良いよね?」と聞いてきた。おじさんは一瞬何か言いたそうな顔をしてからすぐ、静かに「・・わかりました」とだけ答えていた。おじさんの後ろ姿はさっきより心なし丸く見えた。
「良いよね?」「そうですよね?」と、語尾に「ね」をつけて話されると(相手にもよるが)相手に選択肢を与えている形を取りながら有無を言わせない、圧力のようなものを感じる。
カフェにて「タバコ一本、吸っても良いよね?」とタバコに火をつけながら聞いてくる人は、タバコを吸うか吸わないかの選択肢を私に与えているわけではない。ただ「私はこれからタバコを吸います」と宣言しているだけなのだ。
ある友人と食事中に「あ、〇〇さんからメールだ。返してもいいよね?」と聞かれたことがあった。試しに「やだ」と言ってみたが聞こえなかったようで、彼女はそのままスマホにかじりついていた。
「仕事なんだから出勤するのが当たり前だろう」「タバコくらい吸ってもいいだろう」「メールは早く返さなきゃダメでしょ」という言い分は確かに全て正しい。ただ、大義名分を突きつけて相手を動けなくさせているような気もする。
文章の世界でも、上から目線の文章になるのを避けるためのテクニックとして、語尾に「ね」をつけないというものがある。
「あなたのお部屋は片付いてますよね」
「女性なら、仕事と家庭の両立は当たり前ですよね」
「お好み焼きでご飯を食べるなんて、あり得ないですよね」
どうだろう。
話し言葉ならまだ声や表情、相手との関係性といった他の情報が「ね」に含まれる圧力を和らげてくれるかもしれないが、文章になると情報が少ないので、私などはこうした文章を読んでいると何か説教されている気持ちになる。
「あなたのお部屋は当然片付いていますよね」ともし自分が疲れ切っているとき誰かに聞かれたら、たとえ片付いていなくても私は「はい」と答えてしまいそうだ。
「ね」という語尾には相手を操作したい、コントロールしたいという気持ちがあるのかもしれない。
・・と書いておいて、先日自分でも「ね」を使ってしまった場面があった。
先日実家で母の代わりに家事をしていた。疲れてもう夕飯は適当に済ませたい。
母に「夕ご飯、カレーでいいよね?」と聞いたところ、母は一瞬ちょっと嫌そうな顔をしたのだが、私はすかさずさっきより強めの声で「カレーでいいよね?」と聞いたところ、母は静かに「・・うん」とだけ返事をした。母の声を聞いて少し胸が痛んだ。
会話でも文章でも、必要以上に「ね」を連発しそうになった時は、その言葉を発する前に今自分の中で何が起きているかを見に行ったほうがいいかもしれない。
「お詫び代わりに、母のカレーにはゆで卵でもつけるか」と、お湯を沸かしながらそんなことを思った。