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騒音がひどい大家さんを許せるようになったプロセス

30歳になった年はコロナ禍で、狭い実家に家族4人でいるのは息が詰まった。一人暮らしを検討し物件を探すも、壁となったのが家賃だった。

コロナ前の世界なら家には寝に帰るだけだったので、狭くても問題なかった。しかし当時は一日家にいる世界だったので、1Rでいいから8畳は欲しかったのだ。
しかし都内でOLの給料3分の1程度、それでいて8畳ある物件はほとんどなく、部屋探しは難航した。

そんな中、たまたま友人が湘南に住んでいたこともあり、何となく逗子周辺で家を探してみた。
するとヒットしたのが今住んでいる築29年ボロアパートである。
家賃は自分でも無理なく払える額(6万円)、それでいて計13畳という広さ。

元は大家さんの広めな一軒家だったのを、お子さんたちが独立したのか何なのか、2階部分をアパートにして貸し出していた部屋だった。多少古くてもとここに決めて早5年。
住んでみると湘南の土地は移住者も多く、余所者にも風当たりは優しいところだった。

ただ一つの不満は、1階に住む大家さんが夜から朝にかけて、そこそこの大きさで見ているテレビの音だった。

どれくらいの音かというと、ニュースならその内容が、歌番組ならその歌詞まできっかり聞き取れるくらいの大きさだ。
夜眠る時に真っ暗ではなくちょっとした明かりが欲しいタイプの人間がいるのは知っていたが、寝るときに大きいテレビの音が必要な人がいること、その人間が壁の薄いアパートの真下に住んでいることが私を悩ませた。

一度だけ家の前でお会いした時「夜、テレビをつけてらっしゃるんですか」と言ってみたことがある。しかし相手は90歳近いご老人、「ああ、テレビは好きです」と答えて会話は終了してしまった。
仕方なく夜眠る時もつけられるという耳栓を買ってみたりしたものの、夜中の音問題は解決されず3年の時が過ぎた。

ある時、早めに仕事を終えた自分はお風呂を炊きながら夕食の準備をしていた。
台所は3口コンロなので一つはご飯を土鍋炊き、一つは煮物を作って、もう一つのコンロで味噌汁を作っていた。こうしておけばお風呂上がりにすぐ夕食を食べられる、と鼻歌混じりに準備していたところ、コンロ3つの火がゆっくりと消えてしまった。お風呂の方を見ると、湯沸かし機能も止まっている。

急いでパソコンを立ち上げてあれこれ調べてみると、どうやら一部の地域ではガスを大量に使い過ぎると、危険と察知してガスが強制的に止まるようになっているらしい。

ガスメーターにある電源を長押しすると元に戻るとのことで、部屋を出てアパートの裏に行ってみるも、ガスメーターが見当たらない。普通は建物の裏にあると思うんだけどなあ。

もう致し方ないので、大家さんに聞いてみることにした。ピンポンを押してみるも出ない。灯りはついているのでもう一度押してみると、御年90歳の大家さんがヨロヨロと、どこか苦しげの表情で出てきた。

「あのう・・ガスが止まってしまって、ガスメーターを探してるんですけど・・」と話すと、大家さんはぶっきらぼうに「右・・隣」とだけ言ってドアを閉めてしまった。
言われたまま建物の右の方に行ってみると、あった。電源の側のランプが点滅している。長押ししてみると点滅は止まって、部屋に戻ると台所もお風呂も復活した。

翌朝、部屋でいつも通り過ごしているとピンポンが鳴った。出てみると大家さんだった。
昨日は大丈夫だったかと聞いてくるので、おかげ様でと答えると申し訳なさそうに「すみません、昨日は動けなくって」とゆっくりとした口調で話し始めた。

「数年前に胃がんをやっていて。何度も手術してるせいか、夜になるとお腹が痛くて。昨日も痛くて動けない時にあなたが来たものだから、なんのお手伝いもできなくって」と、なぜかみかんをもらった。

こちらこそすみませんでした、お騒がせしましたと謝ってドアを閉めてふと思った。
大家さん、夜は痛みに耐えていたのか。だからテレビの音が欲しかったのか。

そういえば自分も生理痛がひどい時はテレビや音楽をかけたりして、何かでごまかしていた。一人アパートで風邪で寝込んでいると、誰かの声が欲しくてyoutubeをつけっぱなしにしたりしていた。

そう思うと、一人で夜も痛みに耐えている大家さんの辛さが、何だかちょっとわかる気がした。「夜中に大きい音を出す非常識な人」というこれまでの認識が、自分の中でゆっくりと変化していってるのがわかった。

いまだに夜寝る時に下から聞こえてくるテレビ音は大きい。しかし大家さんの事情を知った今は、「なんでこんな時間に」とか「他人のことも少し考えたらどうなの」といった自分の感情と、少しばかり距離を置けている気がする。



最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。