容姿より経歴より、光っているもの
ツイッターでどこかの人事部長さんが呟いた言葉が、ふと心に残った。
「面接ではその人の経歴でも容姿でもなく、魂をみるようにしている」
経歴も容姿も恵まれなかった自分としては、なんだか救われるような、光が差すような感覚がこの言葉にあった。
魂の美しさにハッとする。何十人も人が集まっている場で、思わずある1人の人に目を見張ったり、何か光るものを見た、という経験はないだろうか。
以前、劇団四季のオーデションで、ある女性が「〇番です、よろしくお願いします」と挨拶しただけで審査員全員が顔を上げたというエピソードがある。
その女性というのは野村玲子さん。
後に四季だけでなく日本を代表する名ミュージカル女優さんになられたが、当時は札幌の小さい銀行で受付をしていたお嬢さんだった。
きっと当時から鈴が鳴るような声だったのだろうと想像できるが、声だけでなくその存在自体が美しかったであろうことは、数々の大舞台でヒロインとして物語を支えてきたことが証左となっている。
私の周りにも清らかで美しい魂を持っていると感じる方は多い。あわよくば私もそんな人たちのようになりたい。ということである時期、魂が美しいと感じる方に何か共通点がないかを探してみた。するとあるとき、魂が美しい方、何かが光っている方というのは第三の目があることに気づいた。
第三の目とは顔のおでこの真ん中下、眉間と眉間の間のところ、松果体の辺りにあるとされる。
感覚的な話で申し訳ないが、私が「なんだかこの人、素敵だな」と思う人は、地に足がついていて、第三の目で広く遠くこの世界を見ている。そうした人と話していると、彼らは私ではなく私の奥にある存在ごと包み込んでいるような気になってくる。
さっそく私も第三の眼を意識して魂美人になっちゃうぞグフフと思ったりしたものだが、現実にはそうもいかない。
職場では上司から突然「小澤さん、あの資料どうなった、至急出して!」と言われ「あの資料ってどれだよ、これかな・・」と用意してると、横から同僚から「小澤さん、○○の件でご相談が!」とさして急ぎでもない件について早口で話しかけられ「なぜ今!???」となったりする。そんな日々の中ではなかなか第三の眼を開くのは難しい。
そんな魂美人とはほど遠い私がやっているのがマントラだ。
きちんと朝晩に祝詞を唱えたりした時期もあったが最近はしていなかった。でも知り合いの先生が最近事故に遭い、あまりに痛い治療中にマントラや祝詞を唱えていたら痛みが引いていったという話を聞いて以来、心の中で唱えるようにしている。
一番簡単なマントラはオ・ホノポノだろう。ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています、と何十回も唱える。(順不同、あるいは愛していますだけでもOK)
私の好きな祝詞もご紹介しておこう。隠れてしまった天照大御神を呼び戻すときに唱えられたもの。
ひふみよいむなや こともしろらねちきる ゆいつわぬ そをたはくめか うおいにさりて のますあへえほれけ
(読みやすいようにしています)
これを3回唱える。
第三の目が開いているというのは、自分が行く道をまっすぐ見ているような感じだ。しかし現実には「人生はうまくいかないことの方が9割」と言われるように、なかなか険しい道のりだ。
それに対して自分の道を見つめる方法はいろいろあると思うのだが、マントラが一番私にはあっている気がする。
困ったとき、イライラしたとき、どうしようもないとき、言葉の力を借りてみる。
そうして自分が歩むべき道をまっすぐ見つめ、進む。
それが魂の向上につながるような気がしている。
今まで出会った素敵だなと思う人はみな、女神様のように強く優しく、それでいて5歳児の女の子のようなエネルギーがあり、その人がいる辺りがやさしい光で満ちるような何かを持っていた。
道は長いが、そんな女性を目指して日々過ごしていきたい。
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