失敗はない、フィードバックがあるだけ
尊敬している先生の一人から「これから半年間の講座をするんだけど、仁美ちゃんアシスタントしてくれない?」と光栄なお誘いを先日引き受けた。退職して時間がありまだまだお仕事自体も少なく、何よりアシスタントというのを一度やってみたかったこともあり引き受けた。
こうした学びの場では、たびたび2人1組でペアワークというものをする。お休みの参加者さんがいて奇数になってしまう場合アシスタントが入って人数を調整したり、場を見守りするのが主な役割だ。
見守りというと何もしてない人のようにみられるかもしれないが、見守りの人が一人いるだけでずいぶん場が深まっていくし、逆に見守りの人が誰もいない場は、不思議なことになかなか参加者さんが集中できなかったり不必要な不都合なことが起こりやすくなるのだ。
こうした何もしない、でもただ見守るというのは私の得意技であり、嬉々として講座に参加した。
講座初日、会場設営や受付をこなし無事講座がスタート。受講生どうしの自己紹介が終わり、私を含めたアシスタント3人の自己紹介となった時、私はごく普通の自己紹介をしてしまった。
先生は「仁美ちゃんは以前この講座を受けて、どんな変化を受けたのかな?」と優しく促してくださったのだが、私は「しまった、それ言うの忘れてた!」とすっかりパニックになってしまい「か、変わったところもあれば、変わってないところもあります」と、最悪の返しをしてしまい場がシーンとなった。
初めての学びの場というのは大体の参加者の方が「私ここにいて大丈夫かな?ついていけるかな?」と不安な方が多いものだ。そうした皆さまの気持ちをほぐすようなことを言うべきだったのに、これでは参加者の方を不安にさせてしまう!
余計パニックになっていると、先生は「でも仁美ちゃんは、変化を感じているからここに来てくれたのよね?」とフォローをしてくださり、私は「ももももちろんです!!」と頭をブンブンにしてうなづいた。
そして自己紹介は次のアシスタントさんに順番が回り、彼女は「この講座でどんな素晴らしいことが起こったのか」を簡潔にわかりやすく説明していた。
「あー終わった。皆さんに最悪な第一印象を与えてしまった。初日からアシスタント失格なことをしてしまった」と鬱々していると、テキストに書いてあった「失敗はない、フィードバックがあるだけ」という文字が目に入った。
この「失敗はない、フィードバックがあるだけ」というのは、似たところでいうと発明家のエジソンの「私は失敗したんじゃなくて、うまくいかない方法を1万通り知っただけだ」という言葉が有名だ。
私はエジソンの言葉を最初に聞いた時「はあ、すごいっすね」としか思わなかったのだが、アシスタントという自信を持って臨んだ仕事で初日から大失敗したダメージに打ちひしがれている時には、なんだかスッと心に染みるものがあった。
「砂上」という作家デビューを目指す女性の小説の中に、別れた夫に慰謝料をたかるシーンがある。作家活動というのはいつの時代もお金になりにくいものだ。女性は「100万円よこせ」と元夫に恫喝する際、元夫は泣きながら「もう勘弁してください」と抵抗するのだが、主人公の女性は
「立場が変われば美談です。私の要求も、光のあてかた一つでいい人情話になりますよ」
といってのける。
そう、人生は思い込みなのだ。恫喝が人情話になるように、失敗もただの現象に過ぎず、見方によっては次の成功を生む糧と見ることもできる。
「失敗はない、フィードバックがあるだけ」と自分に言い聞かせながら、最初の失敗を取り戻すべく一日懸命に場のホールドに徹した。
1日の講座が終わって振り返りの際「朝は失敗して、すみません」というと、先生もアシスタントのみんなも「は?」という顔をしていた。失敗だと思っていたのは私だけのようだった。
今日もお疲れ様でした。
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生きていれば人生山あり谷ありですね。
明日も真面目に捉えすぎず、適当にしっかりで参りましょう。