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どんな影の薄い人にも、それぞれの人生がある

先日、特攻隊をテーマにしたミュージカル「流れる雲よ」を観劇してきた。
役者さんの一人ひとりの熱演が素晴らしく、客席からすすり泣く声も聞こえて、観客が大感動の嵐にいたのがわかった。

・・けれどどうしてか、自分にはもう一つグッサリと胸を深く抉られる感じがなかった。

その理由を考えてみると、女性の登場人物が皆「よき妻・よき母」で、男性にとって都合のいい記号の扱いでしかなかったから、な気がする。

なんで脚本家が女性なのにこんなに女性の描き方が薄っぺらいのだろうと思ったが、観客の男性が抱く「女性へのファンタジー」を心地よく満たしてあげる、その一点に注力しているとすれば合点がいく気がした。どうやら自分は「男性がメインで女性が添え物になっている物語」より「ヒロインが輝いている物語」が好きみたいだ。

最近、魅力的だと感じたヒロインは去年の朝ドラ「らんまん」の寿恵子さん。
夫は生活力がなく借金したり、しょっちゅう旅に出たり、はたから見れば散々な目に遭っているのが、本人は「私は人生の大冒険に出ているんですから!」と至って幸せそうだ。

らんまんが良かったのはダメ主人公を魅力的に演じた神木隆之介さんの力も大きいが、やはりヒロインの輝き度合いは、物語の面白さに直結しているように私は思う。

では女性ばかり出ている物語がいいのかというとそういうわけでもない。おじいちゃんばかりの日本の政治になんとなく嫌悪感があるように、女性だけが盛り上がっている団体を見ても、あまりときめくものがない。
きっと自分は「鎌倉殿の13人」のように、登場人物それぞれが光っている物語が好きなのだと思う。
(ちなみに三谷幸喜さんは女性を魅力的に描くことが苦手意識があったが、最近は女性スタッフたちのアドバイスを積極的に聞いて克服したらしい)


文章の世界では「エッセイでも小説でも、登場させる人物全員に、登場させる意味を持たせろ」と言われている。
できれば登場人物全員の年表を作って、どういう生い立ちか、好きな食べ物は、好きな音楽は、とそういった設定まできめ細かく作り込むべしと教えられている。

皆さんもちょっと自分の周りにいる人を想像してもらいたい。その人たちは皆さんの都合のいいように、自分の思うがまま動いてくれる人たちだろうか。現実はきっとそうではないはずだ。自分の思う通りに他人が振る舞ってくれる人などほとんどいない。

脇役は主人公の都合の良い、引き立て役になってはいけない。書き手は脇役を使い捨てるのではなく、とことん愛する。脇役が個性的・魅力的であればあるほど、面白いストーリーになる。

もし脇役として登場させた人物でも、今度はその人を主人公にして1本物語が書けるくらいの愛を持って描くことが、面白い文章の必須条件になってくる。どんな影の薄い人にもそれぞれの人生があり、それぞれに重たいものを抱えて生きているのだ。

人生はドラマのようにパッとよくなったりはしないけど、ドラマチックな物語に触れることは、人生を豊かにしてくれるように思っている。







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