全ての悲劇は、思い込みから始まる
事務職に転職したころはまだコロナ前で、会社の飲み会がしょっちゅうあった。9割がおじさんの部署なので、会場は和風の居酒屋かたまに中華のお店だった。
ある日社員さんと雑談をしているとき、私が「うちの飲み会って、いつも居酒屋さんか中華ですよね。たまにはイタリアンとかも行ってみたいわー」と冗談まじりでいったところ、あっという間に噂は広まり「小澤さんっておしゃれなお店しかいかないんだって?」と言われたり、飲み会の幹事になった人は「おしゃれなお店を選ばないと、小澤さんに怒られるわ」と毎回言うようになった。
冗談のつもりだったのはわかるけど、こうしたやりとりが当時の私には面倒くさくて、頭を掻きむしりながら「もう二度と会社で余計なこと言わない!」と決意したのだった。
それから社内で雑談をするとき、なるべく自分の感じたことを率直に話さないようにする癖がついた。
思えば会社というのは、思い込みに満ちた場所である。
課長と部長が激しい口論をしているところをたまたま1回見た人が「課長と部長って仲悪いらしいよ」と言って、本来不必要な忖度が生まれるきっかけになったり。
善意で手伝っていたはずの仕事が、いつの間にかやるのが当然のことになってしまって「ちょっと、早くやってよ!」と言われたり。
「一を見て十を知れ」という会社の文化は、思い込みを助長させ育てる。思い込みを菌に例えるなら、会社は培養所のような性質を持つのかもしれない。
そんな思い込みの数々は、出来ればない方がきっと生きやすい。
『4つの約束』という本では、思い込みをなくすために相手に質問をするということを勧めている。
NVCというコミュニケーションの手法でも、誰かに何か言われた時「それってこういうこと?」といちいち自分の言葉で解釈し、聞いてみるというやりとりを大事にしている。簡単に言うと「わかったつもりになるな」ということだ。
質問というのも、あんがいやってみると難しい。一歩間違えると「わたしと仕事、どっちが大事なのよ」と、相手に問いかけている体で、相手を責める詰問になりかねないからだ。
誰かが何か失敗したとき「どうして失敗したの?」と質問して、相手に謝り倒されたり、逆に「うるさいな!」と怒られたことはないだろうか。こちらは純粋に失敗した理由を聞いてるつもりでも、相手は責められているように感じることがある。
だがこちらの質問の意図をある程度明らかにしたり、相手には自分の質問に答えない権利も断る権利もあることを見せながら問うことで、詰問と受け取られないようにすることは可能だ。
こう書くとけっこう手間のかかる行為だと思われるかもしれないが、すこやかな人間関係を築く上でなるべく思い込みが生まれないように、質問をしたり常に相手とすりあわせていく努力は肝要である。
全ての悲劇は、思い込みから始まる。ロミオとジュリエットの悲劇だって、たぶんもう少しホウレンソウがきちんと出来てたら、2人ともあんなラストにはならなかったんじゃないだろうか。
ねえねえと話しかけてくる猫に「どうしたの~?」と訊ねるように、他人にも、そして自分自身にも24時間いつくしみと好奇心を持って、なるべく思い込みをしないように生きていきたい。