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息苦しかった体育の記憶が、やさしく上書きされた話

学校という世界は、勉強・コミュニケーション・体育が一通りできて初めて人権を与えられる世界のように思う。

自分の場合、勉強はなんとか人一倍努力して落第スレスレ。コミュニケーションも挨拶さえしっかりしてればまあ大丈夫。

しかし体育の授業だけはどうにもできなかった。
失敗すれば教師やクラスの強いメンツから罵声が飛び、種目によっては連帯責任になってしまう。今でも大縄に失敗してクラスの男子から怒られる夢で汗をかいて飛び起きる。体育が嫌いすぎて、高校を卒業した時は「もう体育の授業がないんだ」と本当に心底ホッとした。

社会人になり、ストレス解消のために初めたヨガのレッスンで「身体を動かすってこんなに楽しいんだ!」と初めてスポーツの楽しさに目覚めた。
ヨガはスポーツではないのかもしれないが、失敗の心配も恐れもない中で自由に身体を動かす喜びを知れたのは自分にとって得難い経験だった。

スポーツが嫌いというより体育の授業で比較されたり、失敗した人間は許されない、みたいな雰囲気が嫌いだったのかも知れない。まあもういい、もう体育の授業は出なくていいのだから。身体を動かしたい時は自分が選んだ場に行って、好きなように動けばいい。そんな風に思っていたある日。

近所に住む友人がワークショップを開催するというのでおじゃました。
こうした学びの場が好きなのは、学校時代に散々辛酸を舐めさせられた体育の授業とは正反対の性質の場だからかも知れない。安心安全で自由の場、大好き!

その日もつながりをテーマにしたワークショップで、逗子海岸の近くにある市の施設で対話やワークを楽しんでいた。
最後、海辺でのワークをするとのことで太陽が眩しい砂浜へ移動すると、突然主催者が「それでは皆さん、これから海辺で『フレスコボール』というスポーツをやってもらいます!」と発表があった。


青ざめる小澤。

フレスコボールとは、砂浜でする羽子板のような競技だ。相手を負かすのではなく、どれだけラリーが続くかで勝敗が決まるので「思いやりのスポーツ」とも言われている。

球技には全くいい思い出がない。頑張っても頑張っても球を落としてしまって「何やってんだよ!」と叱責され、涙目でボールを追いかけた記憶が蘇る。

「じゃあペアになって練習しましょう~!」と、ザ☆陽キャなメンツに囲まれ、手取り足取り教えてもらうことに。

忌まわしい記憶と違ったのは、この陽キャの皆さんがとても優しかったことだ。
動きが鈍くグズでノロマな自分が球を落としても落としても「すみません、自分のボールが打ちにくかったですよね!」とキラキラな笑顔でおっしゃってくださった。思いやりのスポーツというのは本当なのかも知れない。

少しずつ球が返せるようになってきた辺りで「それでは最後、2人ずつ出てきてラリーを発表してもらいます!」と発表があった時、自分は思わず天まで届きそうな「ヤダー!」というでかい声が出た。ずっと学校で言いたくても言えなかった言葉が時を越えて口から飛び出した。

「やだ、やだ、もうやだー!」と散々いいながら、みんなの前でラリーをした。案外ラリーは続いた。球を落としても、もう誰も私を責める人はいなかった。

地獄のような競技の、体育の思い出は海の水面に反射する光と共に、みんなのはしゃぎ声で上書きされたような感覚があった。


やっぱりスポーツはあまり好きではないし、誰かとは一緒にやりたくないのは変わらない。
でも目に痛いほど鮮やかだった体育の記憶は、逗子海岸でのひとときを過ぎて、今は少しだけ優しい色合いになっている気がする。






最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。