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倹約が辛くなった時は、樹木希林さんのことを思い出す
先日ブックカフェに行った際、喫茶ルームでメロンフロートにプリンを注文して食べている、10代と覚えしきおしゃれな女子を見た。
鮮やかなメロンの緑色と昔ながらのプリン「フロートにプリンで2,000円くらいかなあ」「糖質の量がすごいなあ」とぼんやり思う。
ふと自分が飲んでいた無料の煎茶カップに視線を落とすと、コップに小さい海苔のようなものがこびり付いていた。たぶん入場直前にかじりついたおむすびの海苔が口の端についていたのがコップについたのだろう。おしゃれな六本木の場に似つかわしくない海苔のかけらを、親の仇のようにこそげ落とした。
昔からお金を使うことに罪悪感があった。バスや電車一駅なら歩くし、お昼を挟む外出は水筒とおむすび持参。ぱあっとお金を使える冒頭のフロートプリン女子のような方を見ると、違う生き物を見ているような気持ちになる。
そんな自分をいつも励ましてくれる存在が、今は亡き女優の樹木希林さんだった。彼女は倹約家で雑巾を使い切ってから捨てたり、マネージャーをつけずにギャラを直接交渉していたことで有名である。
彼女はお金を使うことが悪いのではなく「モノが役目を全うしてないのに捨てること」そして「集団でいるときに誰かと楽しさを共有しようとしないこと」と良しとしなかったという。
別にお金を払う必要がないところで払ったり、誰かと一緒の時に「私はお金がないから」と水を飲んだり、そういうことをしなければいいだけの話なのだ。そう思うと自分なりの倹約も肯定できた気がした。
ある社長さんが会社でどうしても腹の虫が収まらないことがあって、ヤケクソでブランド物の時計を買ってみたところ怒りは収まらず、むしろ悲しい気持ちになったことがあると語っていた。これはお金にとって一番悲しい使われ方な気がする。
では良いお金の使い道とは、どんなものだろう。パッと思いつくのが学生時代、バイトで大失敗したという一人暮らしの友人が元気をなくしていたとき、何気なく購買で売っていた100円のミルクプリンを買って渡してみたところ、地面に膝を付いて、手を合わせて感謝されたことがある。それまで持っていた「今の時代、100円なんかで人を喜ばすことはできない」という思い込みが崩れた経験だった。
ある人は夏、いつも暑い中に交通整理してくれているおじいさんに、冷たい缶コーヒーを差し上げたところとても喜んでくれたという。こうした「こんなことをしたらこの人は喜ぶだろうな」ということを、自分にもどんどんしていきたい。そのための倹約である。私はいつもそこを間違えて、お金を使わないようにと自分が苦しくなってしまいがちだけれど、自分がまず満たされていて初めて、他人を喜ばせられる。そうやってお金を使っていけば、目に見えない存在が自分を助けてくれるような気がする。知らんけど。
樹木希林さんは、生前インタビューで「自分の芝居のゆとりは、不動産を一つ持っているから」と答えていた。いつ女優の仕事が無くなってもいいようにそれ以外の収入も持っていたことが、結果として女優としての自分を支えてくれたらしい。
誰かを喜ばせるようにまず自分を喜ばせる。そして自分が満たされたら、他の人も満たしていく。そこには必ずしも大金は必要ではなく、たった100円からでも出来ることはある。
毎日何気なく買うコーヒーのことを、無駄な支出として「ラテマネー」などと揶揄されがちだが、明確に「自分を喜ばせる」という意図のため使ったお金は、必ず形を変えて自分に返ってくる。
「1円でも無駄なことには使わない」というのは、とにかく節約をしろという意味ではなく「1円であっても意味のある使い方をする」が、樹木希林さんが本当に伝えたかったようなことな気がする。100円でも使い方によっては、誰かを笑顔にすることができるように。
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今日もありがとうございました。また読みにいらしてください〜〜
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