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僕はスマートに雑談ができないんだよおおお!

雑談が大の苦手である。エステ時代はお客さんとの雑談が苦手すぎて、高級コーチングスクールへ上司に(自腹で)送り込まれたくらい苦手である。

「そんな性格なのによく講座なんかできますね」と、感心とも呆れとも取れる言葉をよく言われる。だが講座のようなプレゼンやスピーチなど、事前に準備できるものは練習すればできるのだ。講座中で予想外の質問が来ても「どんな球が来ても打ち返せ」と訓練されてるので大丈夫。安心安全の対話の場もOK。

しかし雑談だけは今なお、どうしても出来ない。急に話題を振られると頭が真っ白になってしまう。

私から言わせてもらうと、話すのは情報が多すぎる。言葉の他に声色、表情、筋肉の動き・・360度から飛んでくる膨大な情報量から、今一番ベストな当たり障りのない返しを、他にいる人にも気を遣いながら返す。なぜこんな曲芸みたいなことをみんなサラッとできるのか、逆に私はそちらの方が理解できない。

先日、ある学びの場で飲み会があった。
4月から治療の関係でお酒を飲んでいないので、生まれて初めてのしらふ参加だった。その場にいる人たちはみな頭の回転が凄まじく速く、言葉のキャッチボールというより卓球世界大会のピンポンの速さ並みに勢いのあるやりとりが繰り広げられた。当然自分はそこに入っていけず、あまり喋れない3時間を過ごし5,000円を失った。

ああやはり飲み会なんか行くべきじゃなかった。自分は逗子の田舎町で腰の痛みに耐えながら文章を書いて、おおこれはうまく書けたわいとか言って笑う、そんな陰キャな生活が合っとるわ。もう二度と飲み会なんか行くもんか。

・・そう思っていた翌日。
ライングループには「昨日の飲み会はありがとうございました」という飲み会翌日恒例、御礼合戦が繰り広げられていた。その中のリーダー格の人が「昨日幹事をやってくれたAさんに、これからも幹事やってもらおうよ」と呼びかけていて、Aさんにこれから数ヶ月間、幹事をやってもらう雰囲気が流れていた。しかし一晩経っても、Aさんから応答はなかった。

今でこそ嫌だと思うことは断れる自分だが、数年前まで頼まれたことは断れない性格だった。断ったら嫌われてしまうのではないか、成果を出せない自分に存在価値はないのではないだろうか、嫌がったら一人ぼっちになってしまうのではないか・・そんな恐れが渦巻き、嫌なことも無理して引き受けてしまう自分がいた。

「Aさんにこれからも幹事をやってもらおうよ」

その何気ない言葉から動かないライングループに、なんでも引き受けてはしんどい想いをしていた頃の自分を勝手に投影してしまい、思わずAさんに個別ラインで「一緒に幹事やらない?」と声をかけた。

Aさんはとても喜んでくれて嬉しかった一方で「ああ~雑談できないのに、やっちまった」とも思い、頭を抱えた。でも頼まれごとを断れず、しんどくなって倒れていた過去の自分を助けにいけたみたいな気がして、Aさんとのやりとりの後、一人で涙してしまった。

文章を書くのが好きな人・苦手な人がいるように、話すことも好きな人・苦手な人がいるし、飲み会も好きな人・苦手な人がいる。

一人で全部好きになる必要もないけど、人生を生きていると、たまに過去の自分を助けに行ける瞬間があったりする。なんて思った日。




入門編、5月28日(火)、まだお席あります。

平日クラスはあとお2人大丈夫です。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。