発信するときは、無人島からボトルレターを流すように
つい先日、デミロマンティックという言葉を初めて知った。これは感情的な絆や信頼関係にのみ恋愛関係を抱くセクシャリティのことで、ネットでは「出会い系を使えない人はだいたいこれじゃないか」という指摘がされていた。
言われてみると自分も、これまで好きになった人は学校だったり職場だったり、毎日顔を合わせる環境で出会っていた。いい歳して結婚も恋愛もしてない自分に周囲は「マッチングアプリとか、結婚相談所とか行きなよ」と勧めてくるのだが、どうしても行けない自分がいた。
その人の社会的属性で選んだり、もしくはたった1回会っただけの人を好きになれるのかが、自分はよくわからなかった。
デミロマンティックは「恋愛するために出会いに行く」という感覚がわからない人だ。
好きな人ができたから恋愛をするという感覚なので、恋愛をするために好きな人を作ったり相手を探すことがわからない。
ずっと自分の中には「パートナーがいない自分は社会不適合者で、異常者ではないか」という問いがあった。
だって私以外の人はみんな幸せそうにパートナーと人生を歩いているじゃないか。その上わたしはパートナーがいないのに、パートナーを探しに行く努力ができない。パートナーがいない立派な人はいいけど、自分は元々ダメな上にパートナーを探す努力も放棄している怠け者だ。
人は自分の見たいようにしか物事を見ないし、隣の芝生は青く見えるのはわかってはいる。それでも上記のような自責は止まらなかった。
だがたかが情報、されど情報である。
自分は欠落した人間であるという苛まれに「それはそういうセクシャリティの人もいるんですよ」という情報を知ることで、ずいぶん気持ちが楽になった。「この世界に同じような人はいたんだ」と知れたことで、やっと見えない縛りから解放されたような気持ちになった。
以前、文章ワークショップに来ていただいた方から「文章を投稿することが怖い」というお悩みを聞いたことがある。
この気持ちはよくわかる。私も以前、文章を投稿することで嫌われたり誤解されたりするのではないかという恐れがあった。でも文章を書き続けて思うのは、人はあまり他人に興味がないということだ。自分が絶対の自信を持って書いたことを、みんなが読んでくれてるとは限らない。
自分はいつも文章を投稿するとき、無人島からボトルレターを流すつもりで投稿している。
みんなにわかってもらえなくてもいい。この世界でたった一人でもこの苦しみを共感してくれる人がいたら、と祈るようなつもりで投稿している。
好きになった人としか恋愛したくない。そういう自分はワガママなのだとばかり思っていたけれど、そういう人たちが一定数いると知ることで、少なくとも私は救われた気持ちになった。
もしこの記事をご覧くださっている方で、発信に抵抗があるという方がいらしたら「できる範囲でいいから書いてnoteに投げてみてください」とお伝えしたい。noteでもアメブロでもはてブでもいい。その言葉で救われる人が、もしかしたらいるかもしれないのだから。
傷つけたり傷つけられたり、追い込まれたり救われたりしながら、私たちは魂の向上を目指してこの世界を生きている。
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今日も一日お疲れ様でした。
治療中でお酒が飲めないので、炭酸飲料にハマってます。こうしてみると、私がお酒に求めてたのはアルコールというより炭酸のスカッと感だったようです。
週の中日、優しい人ほど適当にしっかりで参りましょう。