なぜnote毎日更新が続くのか。それは誰よりも書き続ける必要があるから。
なぜ毎日noteを書いてるんですか?めんどくさくないですか?と、たまに聞かれる。
たしかに書くことは面倒くさい。自分を表現したいならさっさとnoteは閉じて、ミュージシャンか俳優にでもなった方が効率的だ。書いてると誰とも話すことはないし、自分を売り出す機会も少ない。そのうえ目はかすむし腰は痛いし、心身の健康上もあまりよろしくない。
それでもなぜ書いているかというと、文章教室をオープンさせる時に、師匠に言われた言葉が自分を突き動かしている。
当時自分はどうしても文章教室の先生になりたかった。ライターとして華やかな経歴などない。それでもなりたいと言っていた時、師匠に「文章の先生になるということは、仁美さんが誰よりも書き続け、学び続ける必要があるということだ」と言われた。
文章教室の主宰というのは、どこかのスクールでライセンスをもらってなれたり、試験を受けてなれるというものではない。もし先生になる資格があるとすれば、誰よりも現場でもがいた経験があるか、その一点だろう。
そこから2年ほど毎日更新をして、なんか良さそうと思った学びの場には飛び込むようにしている。赤っ恥をかくこともあるけれど、何もしないであぐらを書いてるよりはマシだと思うようにしている。
自分の知り合いにはプロコーチが何人かいる。プロコーチの中でも、資格を取ってそのまま派と、資格を取った後も勉強会などに出続けている派の2つに分かれている。
別に自分はプロコーチではないのでどちらでも知ったことではないが、もしどちらのコーチにセッションをお願いしたいかと聞かれれば、自分は「もう私には何の学びも必要ないの!」と言い切るコーチより、勉強や練習をずっと続けているコーチにお願いしたいと思ってしまう。
知人のプロコーチは、誰もが知っている大企業のエグゼクティブたちにコーチングを提供している。プロコーチのライセンスは取得してるものの「自分にはもう学びは必要ない」と言い切り、もう勉強会などには一切参加していない。
問題は、彼女がクライアントの情報を私にペラペラ話すところである。これはコーチの倫理規定というルールに大きく反しており「そういうのやめた方がいいよ」と言っても、いいじゃんそんな固いこと言わないでよ~と笑ってきかない。
もし彼女がコーチングの勉強会などに行っていれば、「ああやっぱりクライアントの守秘義務を守るって大切だな」と思う機会がいくらでもあっただろう。情報をアップデートしないことは、ある意味自分の首を絞めることにもなると感じた。
最初の話に戻ると、自分は書くことの可能性を伝えたかった。人間は孤独だ。でも書いたものを誰かが読んでつながった時、人は孤独から一歩抜け出せることができる。それらを伝える人になるには、自分は実践を積むしかなかったというだけの話だ。
たまに「文章が苦手で、、書かないで書けるようになる方法はありませんか?」と聞かれるが、それはない。ピアノだったらピアノを練習する必要が、絵だったら絵を描く必要が、料理なら実際に料理をする必要が、ある。先生になりたいなら尚更だ。
〇〇になりたいと強く願う気持ち、そして続けることが苦でなくむしろ楽しいと感じること、このどちらかがあれば書くことに限らず、目指しているところに近づけるのだと、思っている。
苦手・嫌いな人も、楽しく書けるようになる。