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集客に必要なもの。それはSNS発信と、徳積み活動

生まれて初めてカウンセリングを受けたとき、精神科医に「小澤さんは、本当に頑張ってきたんですね」と言われて「はい?」と聞き返してしまったことがあった。
もっと頑張っている人は他にたくさんいるのに、この医者は何をトンチンカンなことを言っているのだろうと本気で思ってしまった。

その後グループカウンセリングを受けたとき、5人くらいの参加者がそれぞれの生い立ちを話しているのを聞くうちに「ああ、私の家って普通じゃなかったんだな。というか普通の人なんて一人もいないんだな。私は頑張って生きてきたんだ」と、医者の言っていたことが腑に落ちたことがあった。

このように誰か一人に言われたことがよくわからなくても、他の人の話を聞いて理解できるということはよくある。
自分のやっている文章教室でも、肝はそれぞれの参加者が宿題を発表しあう時間である。他の参加者の作品を見ることで初めてわかる自分の良さがある。

というわけで、自分は講座の前はいつも集客に必死になる。出来るだけ多くの人が集まった方が講座の質が高まるので、SNSでの発信にやっきになるのだ。

その日も「土日クラス、あと1名くらい来ないかなあ··」と考えながら横須賀のショッピングセンターの中を歩いていた。自分の歩く道に、ティッシュが丸まったようなゴミが落ちていた。拾おうか迷う。

前回の講座の際も「あと1名くらい、誰か来ないかなあ··」と思っていたとき、たまたま入ったトイレを軽く掃除をしたらその後1名申し込みがあったのだ。徳を積めば自分に返ってくるかも··そう何秒か考えて、ゴミの横を通り抜けた。

潔癖症というわけではないが、コロナ以降、誰のものかわからないブツに対し少しだけ神経質になった。すぐに手を洗えるトイレならまだしも、広いショッピングセンターの道の真ん中で、よくわからないティッシュを拾う勇気はなかった。

そうこうして歩いていると、目の前にレシートが落ちていた。これなら、と思い拾うも周囲にゴミ箱がない。トイレならゴミ箱があるかも、とトイレに行ったがそこにもない。フードコートならあるかも、と誰のかわからないレシートを持って移動する。都会の一駅くらいありそうな距離である。

ようやくゴミ箱にレシートを捨て、帰ろうとするもまた新たなレシートが目線の少し先に落ちている。やれやれ・・と拾い捨てようと見ると「60分駐車無料券」。おいおいこれ落としちゃアカンやつやん、危ない、捨てるところだったと、また一駅くらいの距離を歩いて、フードコートの反対側にあるサービスセンターに届けた。

ゴミ捨ては家中のゴミを集め、仕分け、ゴミ捨て場に持っていくまでのことだ。家事をしないお父さんが「俺はゴミ捨てはやってるよ!」と威張って、「それはゴミ捨てではなく、ゴミと一緒に移動してるだけ」と揶揄されたりするが、まさに自分もあんな感じなのだろう。
欲しいものを買い求めにきている客が大半のショッピングセンターで、自分はただゴミと一緒に移動しているだけの奇妙な人物になってしまった。

今起きていることは全て最善のこと、という言葉を聞いたことがある。でもだからといって努力を放棄してただ天の助けを待つのもなんか違う気がする。人事を尽くして天命を待てというが、天命は人事を尽くしたものにのみやってくる。

そう自分に言い聞かせ、ゴミと移動をして徳を積みながら、あと1名くらいの参加者を待つ。努力の方向が少し間違っている気もするが。










10月から始まる文章講座は、来週いっぱいまで募集してます。
最終決定に入っている方もいらっしゃるので、早めのご連絡がおすすめです。

入門クラス、次回は9月12日(木)、その次は10月19日(土)。


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明日も適当にしっかりで参りましょう〜〜






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