助けを拒まれても、その手を離さない人でいられますように
ある日の出勤途中、地下鉄に乗り換えるべく新橋駅内を歩いていたところ、うずくまっている女性がいた。
年のころ30代なかば、身ぎれいな格好をしたお姉さんは手に持ったハンカチに顔を突っ伏せるように、柱に身を寄せるように、しゃがみこんでいる。横顔の額には汗をかいているのが見えた。
つい「大丈夫ですか?」と話しかけたところ、お姉さんはパッと顔を上げ、ひきつった笑顔で「大丈夫です!」と答えた。
見たところ全然大丈夫そうに見えないのだが、お姉さんの固い笑顔にひるんでしまい、そのままゆっくり会釈して場を去った。
ああいう時、どうやって関わるのが正解だったのだろうか。
私も10代から貧血がひどく、たびたび駅のホームでうずくまることはある。
その度に親切な方に「大丈夫ですか?」と声をかけてもらえるのだが、つい笑顔で「大丈夫です!」と答えてしまっていた。
まるで一人で重い荷物を運びながら、手に紐が食い込んでも「今さら助けなんて呼べないし、呼ぶ余裕もない」と歯を食いしばって坂を登り続ける人のように。
一回だけ、駅でうずくまっている私に無理やり、漢方薬を渡してくるおばあさんに出会ったことがある。
身体が動けない状況でも「知らない人からモノを受け取ってはいけない」と教育されてきた自分は「結構です・・」とゆるやかに拒否したのだが、側にいたおばあさんの夫と思しき人がケラケラ笑いながら「だいじょーぶ、この人元看護士だから」と言っていて、仕方なく受け取ったことがある。
水筒の水を口にふくませて、一気に飲んだおばあさんの漢方薬はよく効いたらしく、その後は無事会社にたどり着いた。
重い荷物を背負ってにっちもさっちも行かなくなってる人には、このおばあさんのように無理やり介入するという手もある。
ただこれが正解というわけでもない。
荷物を背負ってきた人にもそれまでの人生がある。「これは私の荷物だから」「誰にも迷惑をかけるわけにはいかない」と強固に抵抗する人もいるだろう。
ただ出来ることとしては、今困っている人の元へいつでも助けにいけるように、自分自身が軽やかでいることではないかと思う。
この人なら、きっと。
今辛い人にそう思ってもらえるように、呼吸・言葉づかい・放つもの全てを整えてから声を掛ける。重すぎる荷物をひったくってあげるのも時に大事だけど、もっと必要なのは困っている人から「助けを求めるに値する人」という信頼をその瞬間につくり上げることなんじゃないかと思う。
あのお姉さんになんと声をかければよかったのか。正解は未だにわからない。
ただ次に同じ状況に遭遇したときは、差し伸べた手をふり払われても、見守っていられる人でありたい。
そして、その人の心身に食い込んだ紐が自然と解けていくような関わりを差し出せる人に、なっていたいと願う。