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人に必要とされる力が「技術→人間力」に変化している

私が就職活動を始めた大学3年生の2011年は、リーマンショックと東日本大震災が重なった年だった。
加えて、従来のあがり症で口下手の私は面接でことごとく惨敗。企業の人事の人が面接でしたかったのは対話だったのに、世間知らずの私は尋問をいかに切り抜けるかばかり考えていた。

唯一、採用してくれたのがリラクゼーションサロンを展開するマッサージの会社で、土日祝日は休んではいけない個人事業主として採用される。この会社にいた3年間で2日休めたのは1回だけで、盆暮れ正月は2週間連勤、冠婚葬祭に出ることも許されなかった。

その後、事務職に転職。
契約社員として張り切って働いていたが、あるとき正社員さんが私のことを影で「ただのバイト」と呼んでいたのを聞いてしまって以来、なんだか会社というものが信頼できず、いつか誰に見捨てられても大丈夫なように、自分の名前で仕事ができる人になる、という目的ができた。

コーチングやカウンセリング・文章などを学び、自分と向き合えば向き合ううちに「自分の名前で仕事をしてみたい。小澤さんにお願いしますと言われる人になりたい」という想いが強くなり、去年あるビジネススクールの門を叩いた。
セールスレターの書き方、自分の売り出し方、クライアント獲得の導線など、営業の基礎のようなことを教えてもらった。

そこで気づいたのは「必ずしも一芸に秀でている人が、その芸で食べていけるわけではない」ということだ。

私は単純なので、学校の成績順のように一番優秀な人が一番お金も稼げるように思っていた。音楽コンクールで優勝した人がそのコンクールに出た人の中で一番年収は高いし、美術展で大賞を受賞した人が、その中で一番稼げる人、というイメージがあった。しかし実態は違う。

自分の名前で仕事をするとき、どうしたらお金が稼げるのか。それはその技術ではなく、人としての総合力ではないかと思う。
締切を守る・時間を守るといった基本的なことはもちろん、お互いの要望をすり合わせていく作業や進捗状況を都度連絡するこまめさ、予想外の事態にも柔軟に対応する力なんかを、必ずしもその道のスペシャリストが持っているとは限らない。

私が通っていたビジネススクールでは、正規のキャリア路線から外れた人が多かった。
怪我や病気、出産・介護、どうにもならない事情で働きたいのに会社で働くのを(もっというとフルタイム勤務を)あきらめざるを得なかった人たちが多かった。

彼らはその業界の一番ではなかったかもしれないけど、過去の苦しみも悩んだこともすべて人としても魅力に変換して、お金を稼ごうとしている。
そういう人たちの姿は、ホテルのラウンジで大手取引先様とシャンパンをキメている起業家より、オンラインサロンに何百人も生徒さんが集まってくれる先生より、よっぽどキラキラしているように、私の目には映る。

スキルを磨くことも、インプットをすることもとても大切。でも自分の名前で仕事をする上で同じくらい大切なことは、自分の人格を高める努力と、へたくそでもアウトプットし続ける筋力なのだと思う。






アウトプットをする練習をしたい人向けの文章教室をしています。

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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。