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気持ちの切り替えができないときは、落とした財布を拾うように

何か失敗したりミスをして自分を責めることを自責と言ったりする。自責は、責任感の強い人ほどそれに比例して強くなる傾向があるようだ。

あまり自責がない人には信じてもらえないかもしれないが、責任感の強い人間ほど失敗した時「腹切レベル」で自分を責める。大げさではない。腹を切ってお詫びしなければ取り返しがつかないと本気で思い込む。まるで現代の侍である。

責任感の強い人というのは、幼い頃に強く責め立てられた経験が刻み込まれてることが多い。
大切な人に強く叱責されて「そうか、私は役に立たないと、ここに居てはいけないんだ」という確固たる信念が生まれ、何か貢献する行動を取り続けることで自分を守ってきた経験のある人は、自分の存在価値を行動とイコールにしてしまう。

だからだろうか、責任感の強い人間はその誠実さから周囲からの信頼はとても高いのに、自分の行動に何かミスがあるとすぐ「自分の存在価値はもうないのだ」と本気で信じてしまうところがある。

誰しも繰り返してしまう負のループというのがある。責任感が強い人間もすぐに気持ちを切り替えることができればいいのだが、長年培ってできた思考パターンというのはスイッチと違って簡単に切り替えることがむずかしい。数時間はどんよりしていることが多いだろう。

周りからすると「反省したのは分かったから、いいかげん立ち直ってよ」とイラッとするかもしれないが「~せねば」や「~しなければならぬ」が強い人は気持ちの切り替えに時間がかかるのだ。ああ、すぐに気持ちが切り替えられる人がうらやましい。

なんてことをずっと思っていた人生であったが、最近よい言葉を聞いたのでシェアしようと思う。
日本にコーチングを持ってきた榎本英剛さんは、もし繰り返される負のパターンが止まらないときは「落とした財布を拾うようにするといい」と言っていたそうだ。

誰しも道で財布を落としたら「ああ、大事なものだから拾わなきゃ」とすぐにパッと屈んで拾うだろう。財布を落として「ああ、大事なものを落としてしまった!自分はなんて愚かなんだ!」とパニックになったりはしない。

自分らしさについても、この社会で生きていると上司や家長など権限のある存在に自分を合わせて、自分らしさを気づけば失ってしまうことが多い気がする。

けれどもあくまで道に落としたものをすぐ拾うように「あっ!いま我を失ってたかも。深呼吸、深呼吸」とパッと戻ってくればいい、とのことで、なんだかこのイメージが自分にはしっくり来た。

パニックになったり怒りに我を忘れたり中々気持ちが切り替えられなかったり、そうした自分らしさを失ってしまうときは誰にでもある。

そんなとき、いかに早く自分と繋がれるかが大事になるが「あ、財布が落ちちゃった。早く拾わなきゃ」レベルでいいのだと思うと、なんだか気楽になれた気がした。

逆にいうと、そう考えても気持ちが切り替えられないほど心が揺れてしまう時というのは、それだけ自分の大切な価値観が揺さぶられている証左でもある。

必要以上に落ち込んだりする必要はないけれど、どうしても気持ちが切り替えられない時は、それだけ自分の中で何かが起こっている。それは無視せず大切に観察すると新しい気づきがあるかもしれない、と考える侍であった。






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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。