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【諦観(たいかん)】
「諦める(あきらめる)」と聞くと、皆さんはどのようなイメージを持たれますか?
インターネットで検索すると、「とても見込みがない、しかたがないと思い切る」と出てきます。
「諦める」という言葉は、仏教から出た言葉ですが、上記のような意味とは、全く違います。
本来、仏教では、これを「諦観(たいかん)」と書き、「アキラカニミル」と読みます。
試しに言って見て下さい。
「アキラカニミル→アキラカニミル→・・・→アキラメル」
ほら!言葉がなまりました。
では、何を諦かに観るのか?
それは、私が受けた運命の原因を諦かに観なさいと、教えられます。
例えば、悪い結果(失敗)が起きたとき、
「何で自分だけこんな目にあうの?」と他人や環境を恨んだり、
「まあ、人生こんなものでしょ」とアキラメ主義になってしまう方もあるかもしれません。
しかし、そうではなく、なぜこんな結果がきたのか、原因を振り返り、
同じ失敗を繰り返さないように反省する、ということです。
世の中で成功をおさめてる人は、「原因」をしっかり見つめている人ばかりです。
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・「まあ、しょうがない」と思うだけでは、しょうがないだけの選手で終わってしまう。
(落合博満)
・失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います
(松下幸之助)
・のび太にも良いところが一つだけある。それは彼は反省するんです。いつまでもいつまでも今より良い人間になろうと努力するんです
(藤子・F・不二雄)
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耳が痛い言葉ですが、「なぜ、自分はこんな結果を受けるのか?」目をそらさず、諦かに観ていきたいものですね。