ドミニク・ヨーマン インタビュー『LIVING ENERGIES⑤』
この記事は、2002年8月に発行された『LIVING ENERGIES Vol.5』からの転載の記事です。内容は当時のものとなります。
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日本には、あなたの事を知らないたくさんの人がいます。まず、あなたのことを簡単に自己紹介してもらえますか?
私がオーラソーマに初めて出会ったのは1985年の春、私が大学を卒業してすぐのことでした。私は何か霊的なものを探し求めていました。そしてNatural Health Exhibitionを訪問しているときに、とてもたくさんの人でにぎわっているスタンドを見かけたのです。それはまるで花が咲いている茂みのまわりに、たくさんのハチが群がっているような感じでした。
私は、前列に出て何枚かのリーフレットを手に持ち帰り、その数日後、気がついたらヴィッキーと話すために電話をかけていました。その時の私は、彼女との出会いが自分の人生の分岐点になるなんて、思ってもいませんでした。彼女はとてもカリスマ性のある人で、彼女にコンサルテーションを受けるように薦められました。次々とことが運んで、私は、初めてのヴィッキーのオーラソーマコースの会場、当時マイクの家だったその庭の門で、気がついたらマイク・ブースと握手をしていました。
私は、コースに参加したり、オーラソーマの誕生の地となったゴールド・ヒル・ウエストでの仕事をお手伝いしたり、この二人のもとでかなり定期的に仕事を継続しました。私は1980年の中頃にはロンドンでオーラソーマのセラピストになり、その後しばらく東洋を旅して、英語の教師としての教育技能を磨き、1992年にデブ・オーラに移り住んで、現在あるようなオーラソーマ・トレーニング構造を発展させるマイクのお手伝いをしました。
時間がたつにつれて、私はオフィスと管理に深くかわるようになりましたが、いつも私が心から望んでいることは、直接にオーラソーマアカデミーの責任者のひとりとして人々に理解を働きかけることでした。ですから、今私はオフィスから解放されて、自分が最高に楽しめる領域に自分のエネルギーを注げること、コースという学習の場に戻れることを幸せに感じています。
今回日本では、どんなことをされたのですか?
私は、アドヴァンスコースだけでなく、私が今研究している新しいコースも含めたプログラムを準備しています。その目玉の1つが「生命の木を探求する」コースです。
3日間をかけて、私たちは「生命の木」が示すテーマと内なる関係性を探究します。私は、生命の木が、私たち自身の中にある異なったレベル、根源、魂、自我、肉体の間にある関係を見ていくための驚くべき地図だと思います。ここで出会った生徒たちは、とても素晴らしい人々でした。皆さんとても受け入れ能力、応答能力が高く、自発的に注意を傾けてくださったので、コースでの情報をより深く伝えることができました。
おかげで私も、コース中にたくさんの新しい発見をしました。それによって私も情熱を維持でき、この仕事を通して成長させてもらえるのです。私たちはプラクティショナーコースも実施しましたが、それもとても素晴らしい形で成長しました。当初、私には多くのアイデアがありましたが、決まったプランはありませんでした。
まさにこの状況は、私たちがオーラソーマ・コンサルテーションにアプローチする方法に対応している、ということがひらめいたんです。
私たちは、その人とその人が選んだボトルを見るまでは、そのコンサルテーションで自分が何をすることになるのかはっきりとは知りません。それで、このコースの中で浮かび上がった主要なテーマは、自分に栄養を与えたいという参加者自身の欲望、自分自身の情熱の火花にもう一度再接続するときだ、ということでした。それで二日間を通じて、私たちはボトルの選択、描画、シェアリングによる探究をし、このコースが終わる頃には、自分にとって価値のある何かが、それぞれの人に見つかったのです。
どのコースの中でも、これは私にとってもうひとつの重要な領域なのですが、自分自身の中の、触れられ、探究されるのを待っているもののためのスペースです。そのためにコース全体は、新しい技術や情報を学ぶだけでなく、私たちがもっと内側を見つめられるように支援します。
結局、他人と協調できる能力は、自分自身と協調できる能力によって決まります。オーラソーマでは、これが一番肝心なことです。オーラソーマの何に一番惹かれるか尋ねられたら、私はそう回答するでしょう。オーラソーマは多くの事柄の組み合わせですが、特に、オーラソーマは自分自身を探求するための色という無理強いしない鏡と、その探求を支援するエネルギッシュなツールの両方を提供してくれます。
存在という文脈の中では、なにもかもすべてが意識の成長という私たちの魂の旅に役立ちます。私たちの選ぶボトルには、問いかけと答えが同時にあらわれます。
現在はデブ・オーラを根拠地としていないわけですが、オーラソーマの中で進化していく自分の役割をどのようにご覧になっていますか?
次は教えることに集中することになると思っています。
私が行っているコースの大部分はリニューアルコースになります。つまり、コース修了後に参加者は証明書を受領します。
私としては、もっと多くの方々を対象にセラピストとして働きかける体験を増やしながら、オーラソーマを使って一般の人々に働きかけるもっと多くの方法を開発する役に立てたらと思っています。
私は、私たちが「1つのコンサルテーション」という物の見方から、オーラソーマを使ってクライアントの現在のプロセスに多くの気づきをもたらすところまで行く必要があると思います。私は、それに働きかける方法を見出せたらと思っています。私は、オーラソーマについてと、その関連領域の両方で本を書こうと思っています。
また日本に戻ってこられますか?
ええ、ご存知のように私は日本での滞在を本当に楽しみました。教えることを別にしても、ただ日本にいることが非常に刺激的で、ある意味でとてもなじみ深いものがあります。私は、日本の食べ物やその食べ方が大好きです。敬意と同意に対する皆さんの態度、そして調和と美しさを尊ぶ態度を高く評価しています。私は、次に来る2月、3月にはもっと長い期間滞在で来て、オーラソーマをさらに深く探求できる機会を持てたらと思っています。なにかとても楽しみです。
あなたのヴィッキーとの体験とは、どんなものでしたか?
私のヴィッキーとの体験ですか?
もちろん私の体験は、当時の私自身の内面にあったものごとで色づけられていると思います。
私は、精神的な道に踏み込もうとしていた23歳の青年でした。私は、ヴィッキーが非常にカリスマ的で、確信に満ちている人であると思いました。彼女は確信を持って話しました。その確信は、特に当時の私のように、解答を求めている人間だったら、自分が信頼できる何かを探し求めている人になら、すぐにも伝わったでしょう。
彼女の確信の強さは、私のオーラソーマに深く近づくことへのためらいを取り払ってくれました。そして、オーラソーマに初めて出会った多くの人々の場合もそうだったろうと思います。この信念はこの上もなく大きな愛と結びついていました。彼女は一種の宇宙的な母として多くの人々と関わったのだと私は信じています。彼女は、オーラソーマの「あなたは、(彼女のように)彼ら全てを愛する」という言葉になったそのことの感じ方を説明する特別なやりかたを持っていました。
この愛と助けたいという願望は、コースセッションの終わりに彼女を囲んで多くの質問をするたくさんの人々に答えるために、しばしば彼女から休憩時間や食事時間を奪うことになり、結果として彼女を疲れさせることになってしまいました。
彼女は基本的に、(彼女の表現によると)借りた時間を生きているように感じていました。彼女の時間は限られており、彼女の生命は贈り物でした。残された時間内に自分の所に来た人々に、可能な限りのものを与えるつもりでいました。
ヴィッキーは何を教えたのでしょうか? それは、今とは違いがあるのでしょうか?
初期の頃には、いわゆるオーラソーマ・システムというものはありませんでした。まだ組織化されていなかったのです。人々はよくヴィッキーとマーガレットに、どうすれば、どこで、もっと色彩やオーラソーマについて学ぶことができるかと尋ねたものです。その要求が最初のコースを生み出しました。ヴィッキーの教え方は立ったまま、ただ自分の人生や、ハーブや、色彩や、エネルギーと魂の世界について話すことでした。
内容はその瞬間のインスピレーションから流れ出しました。彼女は人々を中に招き入れ、話しながら人々を自分の世界に連れて行くのが好きでした。彼女のトレーニングは、物語の語り手の足元に座っているようなものでした。しかしやがて、もっと一貫して秩序立った情報が必要であることが明らかなりました。マイクとクローディアは、最初の学生ノートを作成することによってこの仕事を開始しました。
そして私は1992年にデブ・オーラへ移り住んで以来、この仕事に深く関わることになりました。
私たちはヴィッキーが蒔いた種を尊重しましたが、ファウンデーション・コースの材料では特にそうです。彼女のアイデアの種子の多くはそのレベルに、たとえば、ボトルの1?30番の情報として存在しています。
インターミディエイトとアドバンスコースは、彼女が他界した後に継続進化したものなので、もしかしたらヴィッキーには見覚えがないかもしれません。ですが私は、これらのコースの一部となったいくつかの主題については、マイクとヴィッキーは話し合ったと思っています。
ヴィッキーが伝えたもの(トランスミッション)とは何でしょうか?
もし、私が一言で言わなければならないとしたら、それは「愛」だと言うでしょう。愛の他に言うなら、強さと勇気、信頼とインスピレーション(霊感)だと言うでしょう。植物への感性。家族および一体性のフィーリングです。
どんな人々が彼女のコースに引きつけられたのでしょうか?
教師のもとにはそれにあった生徒が引き寄せられるというのは真実です。
私は、オーラソーマ全体が家内工業からプロフェッショナルな組織に移行したのだと言いたいと思います。
今やオーラソーマはより広範な人々を魅了しており、初期の頃のにあったようなサイキックな周辺の感じは少なくなっています。
その一部は、今では人々が色彩そのものから直接自分の答えを見つけ出すことがより強調されるようになったことです。ヴィッキーの天性は教師としてのあり方を超えており、人々が彼女に持って来た質問の解答を与えることでした。時間の経過につれて、それはオーラソーマというチャンスは、各人が自分の責任を引き受けるようになるための鏡である、というふうに変化していったのです。
あなたは、何をヴィッキーから受け取ったのでしょうか?
初めに心に浮かんできた言葉は、好機です。彼女は、私に身近にいること許してくれ、またオーラソーマの中心に非常に近いスペースを与えてくれました。それは私が今日に到るまで恩恵を受け続けていることであり、また言葉にならない感謝を感じている贈り物です。
あなたにとってのオーラソーマとは?
これは大変な質問です。あまりにも多くのことがあります。
私にとって、それは何よりも物事のありようを探求するためのツールです。色彩とボトルの相互の繋がりを見ることによって、それぞれの色の組み合わせに関連する多様な連想、精神的、感情的、エネルギー的、数秘学的、占星術的、カバラ秘儀的など、さまざまな連想やあまりにも多くの洞察が生まれ、多くの物事に啓示が与えられます。
私にとってそれは終わることのない旅です。オーラソーマは私の探究にとっての啓示です。ちょうど数学者が数字を取り上げ、地質学者が地球の構造を取り上げるように、私の生の材料はオーラソーマと色なのです。ヴィッキー・ウォールはオーラソーマを神様の店のウィンドウだと言いましたが、私にとってそれは、店の主人の思いと方法を認識するためのチャンスです。
この探究の精神もまた、コンサルテーションの中に生きています。それぞれのコンサルテーションは、クライアントの自己と、その状況を認識する過程です。オーラソーマは、色彩という鏡を非常に純粋で本質的な形で提供します。しかし探究を超えてそこには、助けになろうとする意図とエネルギーがあます。オーラソーマには、より大きな気づきへと私たちを刺激できるエネルギーが用意されています。
あなたは、教える事を通して何を伝達したいのでしょうか?
喜び、受容、理解することです。その喜びは探究の中にあります。学びは、遊びによって、開いた心によって、創造性によって最善の成果が上がると私は信じています。このことは瞬間に湧き起こる叡智に、過去に自分が学んだ全てのことを超える知識へと私たちを導いて行くでしょう。黄金の体験です。
受容は、私たちの本質に関連しています。私たちが人間であるという事実、私たちが判断を超えていくときに、私たちの人間性や苦しみとの関係で起きる慈愛と優しさを体験することです。それらの物事を受容することを、私たちは自分の中に、またお互いの中に発見します。
理解は受容から起きます。私は、それぞれの人が自分自身の理解能力に到達するためのスペースを、そして自分があるがままのその人たちを尊敬するスペースを用意したいのです。英語の理解するという言葉(understanding)は、「下に立つ(standing under)」に変えることができるという思いに打たれます。私たちは、自分の真実、第8チャクラの下に立つのです。私たちがこのことに目覚めると、私たちの上にも中にも黄金の瞬間があります。自分自身への帰還です。
あなたは、日本の生徒たちとプラクティショナーに何を期待なさいますか?彼らがオーラソーマの実践によって自分の経験を見出すことです。やがて世界は受容的になってますますオーラソーマという贈り物を受け入れ、オーラソーマの探求に関わってそれと共に成長する人々を評価するようになるでしょう。私がオーラソーマのネットワークを育成することも非常に重要だと思うのは、それによって相互に力づけと支援を受けることができるからです。ヴィッキー・ウォールが言っていたように、「一本のマッチを折るのはたやすいけれど、マッチ箱全体を折ることはとても難しい」のです。
ドミニク・ヨーマン
ヴィッキー・ウォールとの出会いにより、オーラソーマの初期の頃よりオーラソーマにかかわる。オーラソーマアカデミーの創設と発展に貢献する。オーラソーマのワークブックやティーチャーのためのワークブックなど、オーラソーマの情報をまとめ、体系化することにも貢献する。2001年、デヴ・オーラを離れ、世界でオーラソーマのコースやグループを教えている。