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ポジティブリハビリ

世の中には「ポジティブ」と「ネガティブ」が存在する。そして何となくポジティブが良しとされる空気感がある。大学生になったころから、自分はどちら寄りなのだろうと考えるようになった。ネットの診断テストでは「50:50の現実主義者!」と出た。うーん。笑

以前も少し書いたように、高校生まではあまり自分のトリセツを必要とせず、それなりに強メンタルでいろいろ乗り越えられていた気がする。みんなそういうものなのかもしれないけど。

でも大学生活とその中のコロナ禍を経て、この世界はこんなにも難しくできていて危険がいっぱいなのかと気付いた。(危険というのは自分が折れてしまうかもしれない物事という意味。)この先どうやって自分と付き合っていけばいいんだろうという壮大な不安をお土産に、あっという間に大学を卒業してきてしまった。

自信もって!と言ってもらったり、自分でも前向きに頑張ろうと思う時があっても、どこかで怖くなってブレーキをかけてしまう。「0か100か」で考えるのではなく、ちょうどいいバランスを探したくて今日は書いてみます。

大学生にしてぶち当たった社会の難しさ

私はおそらくポジティブかつ、疑うことを知らないピュアガールに育ってきた。負けず嫌いではあったと思うけど、「コンプレックス」「劣等感」「羨望」ということについては高校生になるまで本当に考えたことがなかった。好きな人に彼女ができたとき、「私の方が勉強もピアノもできるしかわいいのに」とか思ってたし、、笑 そういう問題ではないのだよよにょこ少女。

大学生になって環境が変わり、「生きるのってこんなにも難しい」と感じた。気づいてしまった。これも経験か、、大人からしてみたら青いんだろうな🍏この世界は、未だにびっくりするくらい本っっっ当にいろんな人がいて、それぞれの動きたいように動いている(ように見える)んだね。

自分が努力しても変えられないものがたくさんあるということを、二十歳にもなって初めて学んだ。それに大所帯の組織はまるで村のようで、他の人の目にどう映っているのかわからない恐怖を知った。嫌いだとは思っていなかった子の悪口をみんなが話しているのを聞いたり、チーム内で気づけば自分だけが動き回っていたり。勝手な思い込みだけど”裏切られた”とも言い表してしまうようなくらい、自分の中でセンセーショナルな発見だった。

もう少し早く慣れていたら、”現実のギャップ”を「そんなもんだよね」に変えて、「自分も行きたいように生きよう」と思える強さを持てていたのかな、なんてどうにもならないことを考えてしまう。どうしてよく「自分らしさ」という言葉が唱えられるのか分かった気がした。私たちはいろんな人が立てる波紋にさらされていて、わざわざ「自分らしく生きて!」と言われないと埋もれてしまいそうになる。そして埋もれたまま生きる日々はすごく重苦しい。だから今も絶賛自分らしく生きる練習中。。

根はポジティブ故に最初の認識が楽観的になりすぎて(期待してしまったり)、蓋を開けたときの落差が自分的にでかすぎて不安になるみたいな流れが最近多い。あるいは些細なことでもショックに感じて、それをまた真に受けたりするからしばらく引きずったりもする💧

楽観的なら物事をより良くしようとか、今有るものに目を向けようという思考や推進力を持っていたいのだけど、、難しいね。

ポジティブに対する猜疑心

※注 この段落、何が言いたいのかさっぱりわからんです。温かい目でお読みください汗

私を知っている人は「どこが??」と思うだろうけど、私はここ数年ですっかり臆病者になった。友達が悩んでいたら絶対そんなこと言わないのに、自分のことになると「自分はこんなんだからうまくいかないんだ。あの人はもっとすごい」と常に自責・自戒したり他人と比べたりするようになった。

でも、コロナ禍のステイホーム期間が人生で本当に辛い時期で、もうこんなに自分をいじめたり悩み事と向き合いすぎるのはやめようと思うきっかけになった。(楽しみがすべて消えてバランスが取れなくなり、自分しかいない家で毎日泣いていた。初めてしにたいと思った。)

ポジティブになろうと思ったら今度は、自省と改善を怠る気がして怖くなった。。もともとナマケモノだしすぐ調子乗っちゃいそうで^^; それこそ大学時代、勝気でどんどん前に進んでいく故にちょっぴりひんしゅくを買っている人を何人か見て、人間やっぱり謙虚でおごらない方がいいなと思ってしまった。何も考えていない人はお気楽でいいな、とかね。。

浮足立つのが怖いからと言って、ネガティブや憂鬱がデフォルトになりつつあるのだと思う。それではしんでしまう。。まだ練習途中だけど、いくら今抱えている悩み事や高い壁が気になっても、どこかで「あ、今私、やばいかも」と気づいて「にげる」コマンドを選べる人間でありたい。

ある日の気付き

ある週末、友達と久々にたくさん爆笑して、午前中とは比べ物にならないくらい晴れ晴れとした気持ちで一日を終えた。

仮に問題が根本からの解決までには至っていなくても、自分が少しでも元気になれたならそれでいいじゃないか。と思えた。👏 誰かの手を借りようが、騙されたと思って適当に試したことであろうが、少し恥をかこうが、ちょっぴり汚れた動機であろうが、こじつけであろうが、それで少しでも心が軽くなるならいいのかもしれない。邪道でも少しでも進めたのなら、人生それでいいのかもしれない。

まとめ:人生、再起動とアップデートしまくってこ

ここまで言語化してもまだポジティブの方がいいという通説を斜め読みしてしまうし、「人生楽しんだもの勝ち」論は完全には賛同できないけど、大勢の人がそう言うんだし、音楽はあの手この手で元気づけてくるし、友達や家族も私が明るい顔しているほうがきっと嬉しいんだろうから、そうなのかなと思うことにする。傍から見たらめちゃめちゃ頑固だな、、笑

なんでも逃げたら何も得られないけど、ある程度向き合ってもしんどいならいったん再起動。小説でも音楽でも推しでも、大好きな人たちとの時間でもできる。むしろその時間のために生きてるまである。空腹で食べるご飯がおいしいのと一緒ですね。しばらくしてやってみたらすんなり解決するかもしれないし、悩んだり逃げたりした間に持った感情で自分をアップデートすればいいんだと思う。

最後急に偉そうになってしまったけど、同じく血迷っている方がいたら、一緒に頑張りすぎず頑張りましょう🌷

よにょこ

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