桂花ラーメンの太肉麺
人生のそばには、常に桂花ラーメンの“太肉麺”があった。新宿に4店舗を構える桂花ラーメンで頼むのは、いつもどんな時も太肉麺だった。
豚骨ベースのスープ、細麺、豚角煮のような太肉が乗っている熊本発祥のラーメン。15年以上も通っているのに、太肉麺以外を食べたことがない。
人生で初めて太肉麺を食べたのは、小学生の頃だった。父親がラーメン好きで、毎週末どこかのラーメン屋に連れて行かれていた時に出会ったのが、太肉麺だった。絶妙な味わいに魅了され、私は新宿に寄るたび、それを食べるのが恒例になっていた。
太肉麺は、自分の現在地を写す鏡のような存在なのだ。
大学入学と同時に始めた新宿三丁目での料亭のバイト。受験勉強だけでこの世を知った気になっていた18歳は、世界で一番使えない存在だ。注文も覚えられず、グラスを何個も割り、見かねた女将さんに"休養"という名のクビを言い渡されてしまった。最終出勤日の夜、末広店で泣きながら食べた太肉麺は、人生のやり切れなさを表現するようなマー油の苦味が口いっぱいに広がった。
友達が1人もいないゼミに所属していた3年の冬。ゼミの飲み会を断り、シネマート新宿で香港映画を観たあと、独り太肉麺を啜っていた。そこに偶然ゼミの集団が飲み会帰りに桂花ラーメンを食いにきた。その気まずさたるや。
顔を隠し、なんとかバレないように急ぎ麺を啜った。あのときの太肉麺は、全く味がしなかった。
曙橋に住む男と大喧嘩した大学4年の夏。大泣きして前後不覚になりながらたどり着いた新宿ふぁん店。そこで食べた太肉麺は今までの中で一番しょっぱく、泣き疲れて枯渇していた塩気が心身に染みた。豚骨スープの上に浮かぶキャベツを頬張っていた時、「恋愛など、こんな呆気ないものか」となぜか割り切れたような気がした。
定期券外になった新宿へ行くこともなくなり、ここ最近は太肉麺を食べる機会がめっきり少なくなった。
だが、黒々と浮かんだマー油の味を、太肉のしっかりとした質感を、脂身が口内で溶けるのを思い出すたびに、わたしは人生のアルバムを捲ることができるのだった。
またいつか、私は新宿で桂花ラーメンの太肉麺を食べる。
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