安全安心な場所から飛び出す大切さは3歳児でも知っている
娘が幼稚園バスに乗りたがらなくてね。朝泣くのよ。泣いてる娘を抱っこしてバス乗り場まで行って先生に預けるわけなんだけど、親もなかなか辛いのね。でも幼稚園行ったら行ったで楽しそうに帰ってくるのよ。
これ「分離不安」っていうらしいんだけどね。特に土日楽しく過ごしたあとの週明けの月曜日とか激しいのよ。
幼稚園の楽しさって「安心の外側」にあるものだから、安全安心の親との関係から離れる瞬間が一番きついんじゃないかな。
俺は起業バカだから、「これって起業と会社の関係じゃん」とか思っちゃうわけ。
会社っていう安全安心な場所(それが本当に安全かどうかは関係なく、慣れ親しんだ場所という意味で)から起業するってことはつまり『分離不安を乗り越えて幼稚園に行けるか問題』なわけよ。
強かろうと何だろうと一度幼稚園バスに乗ってしまえばいいだけの話なのね。娘が泣いてる理由は「幼稚園が無理」ではないわけよ。親から離れるのが嫌なだけ。
なぜ親から離れたくないかって、そこが安全安心な場所だから。でも親から離れないと学べないことがあって、社会に飛び込むから得られる楽しさがあって、それは本人もわかってるはずなのよ。
本当に嫌ならもっと泣くはずだし、制服に着替える段階で拒否するはず。普通に服は着るし楽しそうに家は出るのよ。でもバス乗り場が近づくと泣いちゃう。涙の理由は「寂しい」という気持ちを発散してるだけだと思うのよね。
これは大人も同じじゃない?と起業バカは思うのですよ。
起業が難しいんじゃなくて「会社から離れるのが怖い」、個人で稼ぐのが難しいんじゃなくて「組織の一員ではなくなるのが怖い」、つまりこれって分離不安なのね。
そうだとしたら解決する方法は簡単で、ちゃんと泣けばいいの。苦しめばいいの。「幼稚園いきたくない〜!!!」って泣いて喚いて、それでも幼稚園行って、「楽しかったァ」って帰ってくればいいの。
俺たちはこうやって感情を発散させながら『親から離れる』というミッションをクリアしてきたのに、大人になったらそれがなんとなく恥ずかしいことに感じるようになってきて、できなくなっちゃったのかもしれないね。
しまいにはただの分離不安を「才能がないから起業は無理」「稼げるかどうかわからなから無謀な挑戦はしない」なんて理由をつけて避けようとする。
いやいや、それ3歳の頃に経験したやつかもよ。
遠くに自分の行きたい場所があるけど安全安心な場所から離れたくない、というただそれだけの3歳児にも当たり前にある感情を、なんで「できない理由」としてカウントしちゃうの。もったいない。分離不安なだけ。
俺も起業したからわかるんだけど、結局のところどこまでいっても起業する理由なんて「やってみたいから」以外の何者でもないのよ。
「独立前に食っていける算段がつく」なんて絶対ないのね。起業した後の計算なんて起業する前にできるわけないから。やったことないんだから。
だから、ただの分離不安なわけ。お母さんから離れたくない、でも幼稚園も楽しそう。俺たちはそうやって泣き喚きながら大きくなったわけ。
だったら一回経験済みじゃん。だから大丈夫だって。自転車だって一度乗れるようになったら10年経っても乗り方忘れないでしょ。
俺らは知ってるんだって。慣れ親しんだ場所から離れることの大事さも、未知の世界でたくさんの楽しいことが待っていることも。やりたいならやろうよ。
大人ぶってんじゃないぞ。いい歳こいた大人ななんだからさ。
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