「お金のありがたみ」じゃねえのよ
タクシーに乗ったんよ。小倉駅から家まで1980円。飲み終わって解散したら雨降っててね、「これは電車で帰っても駅から濡れちゃうなあ」って、アルコール入れて爽快になった気分が憂鬱になっちゃいそうでね。
たまたま視界にタクシーが飛び込んできたもんだから、乗って。家まで送ってもらって今なんだけど。酒飲んでただ遊んでた俺のために家まで送ってくれるタクシーって本当にありがたいなって。
いくらこっちがお金を払うからって、10時過ぎたから割増料金で少し多めに払うからって、タクシーが存在しなければ俺は駅から濡れながら帰ってたわけよ。でもタクシーがいてくれたから、家までいい気分のまま帰ることができた。
俺、売上でなくてウーバーイーツの配達員やってた時期があるからわかるんだけどさ。タクシーとか配達員って、当たり前だけど家があるわけだよ。12時に仕事が終わっても12時に家に帰れないわけよ。
俺がウーバーやってた時はさ、葛飾の家を出てアプリが鳴るままに都心の方にだんだん寄ってってさ、注文締めの12時を過ぎた時点で渋谷とかにいたら、そこから帰宅まで1時間以上あるわけよ。
秋とはいえど寒くなってきた深夜をさ、時給も発生しない道を1時間かけてトコトコ帰るわけ。家に帰ったら腹も空いてるしさ、外食して楽に済ませたいところだけどそしたら何のために働いてきたのかわかんなくなるからもう我慢して寝ようとか、考えながらシャワー浴びるわけ。
そしたら寝るのなんて1時半とかになるわけよ。まあ仕事だから仕方ないことなんだけどさ、深夜のさ、街がなんとなく色気付いて浮き足立ってる時にさ、一人で配達を待ってる時の切なさとか、めっちゃわかるわけよ。俺がタクシーやってたとしたらさ、飲んで気分が良くなって乗ってきたお客に横暴な態度でも取られた日には「こっちの気も知らないでテメーこのやろう」って絶対思うわけよ。
確かに割増料金のタクシー代は安くないけどさ、実際それが全部運転手さんに入るわけではないのよ。ガソリン代があってさ、車両の維持費だってある。お客さん乗せるわけだから毎日洗車だってするわけで。
目には見えない労力とお金がたくさんかかっているなかで、気持ちよく酒を飲んでただけの俺をさ、家まで送ってくれるわけよ。こんなにありがたいことがあるかって。
「お金払ってるから対等」なんて言ってるようじゃ「なに思い上がってんだよオマエ」って感じなわけよ。タクシーの運転手さんが今日そこにいなかったら、俺はどれだけお金を積んでも家には帰れないわけね。
俺は体がでかいからさ、どれだけ傘さしても足元びしょびしょになるわけよ。ほんと、ありがたいよ。
こういう話をするとさ、「お金のありがたみですね」みたいなことを言う人もいるんだけど。そうじゃないって。お金は何もしてないって。お金は道具で、偉いのはお金じゃない。
お金を通じて自分のために時間を使ってくれた人が尊いわけで、そこを見失ってはダメだと思うんだよ。お金がどれだけあったって一人の腹も満たせないからね。
目の前の子供がお腹すいて泣いてたとして、泣き止ませるのに必要なのは100万円じゃないんだよ。パンが必要。確かにお金はパンと交換できるけど、それは「パンとお金を交換してもいいですよ」って言ってくれる人がいてこそだ。
俺たちはあまりにもお金が力を持ち過ぎた社会を生きている。どれだけお金があったって、ジーパンを作ってくれる人がいなかったらジーパンは履けないんだよ。「こっちは金出してんだぞ」って態度を出しちゃったらもうだめだよ。人として。
お金は人間が開発した道具であって、お金が誰かを幸せにすることなんてない。人を幸せにするのは人だ。お金の奴隷になっちゃいけない。
タクシーの運転手さん、俺のためにわざわざこんな駅から15分離れた丘の上まで送ってくれてありがとう。本当にありがたかったです。
お金について考えた話でした。
いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。